サイレンを聞かせる
市の防災訓練映像を仕上げる水科凛へ、担当課から修正依頼が届いた。「避難開始のサイレンが聞こえない。音を大きくしてほしい」。
撮影日は強風だった。映像では住民が歩き始めているのに、音は風がマイクを叩く低い唸りばかり。サイレンを単純に上げると、同じ場所にある担当者の「走らないでください」という声まで割れた。
映像の目的は、訓練が盛況だったと示すことではない。高齢者や子どもが、合図を聞いて同じ方向へ動けることを伝えるものだった。凛は担当課に、サイレンが鳴り始めた正確な時刻を確認した。音を聞きやすくするために開始を早めれば、画面の住民より先に視聴者だけが避難することになる。
凛は全体の音量を上げなかった。サイレンの高さを調べ、風の低い成分だけをEQで抑える。次にノイズリダクションを薄くかけたが、風を完全には消さなかった。無風の音にすれば、旗が千切れそうに揺れる画面と合わず、訓練の厳しさまで嘘になる。
担当者は「もっと警報らしく、はっきり」と求めた。凛はサイレンだけを強くする前に、その直後の案内放送との境目を整えた。警報が聞こえればよいのではなく、住民がいつ動き始めるべきか分かる必要がある。
最後にピークを確認する。小さなスピーカー、イヤホン、会議室の古いテレビでも再生した。高性能な編集室では聞こえても、避難所で使う機器に届かなければ意味がない。古いテレビでは風が再び勝ったため、サイレンの最初の一秒だけ少し持ち上げた。
完成版で、風の中から細い警報が立ち上がる。「避難を開始してください」という声が続き、人々が歩き出す。大きすぎず、聞き逃せない音になった。
担当者は承認し、「訓練だから、多少聞こえなくても問題ないと思っていました」と言った。
「訓練で聞こえないものは、本番でも聞こえません」
送信が終わったとき、窓の外で本物の防災無線が夕方の時刻を告げた。凛の受信箱には、新しい依頼が入る。前夜の豪雨で撮られた、避難所案内の映像だった。