ピンクの雨のブーケ
雛森依都がピアノを弾くと、会場に桃色の紙片が降った。
姉が結婚式のために作った明るいブライダルポップ。式の一週間前、姉は深夜の道路事故で死亡し、助手席にいた婚約者だけが助かった。警察は姉の居眠り運転と判断した。
三年後、その男が別の女性と結婚する。彼の希望で、依都は姉の未使用曲を余興として一度だけ演奏することになった。断れば、姉をまだ恨んでいると親族に言われた。依都は笑って引き受け、三年間保管したデータを開いた。姉のピアノ椅子は今も実家にある。「過去を乗り越えるため」と彼は言った。
イントロで、ウインカーに似た音が左右へ揺れる。
「次は私の番」
歌詞では、ブーケを受け取る友人たちの冗談だ。Aメロに入ると、ピアノの下でワイパーが四拍を刻んだ。姉の作曲データにはなかった音。事故車のドライブレコーダーが、自動同期でデモへ混ざっている。
婚約者は、記録装置が壊れていたと証言した。だが曲のテンポを半分にすると、車内の会話が聞こえた。
〈眠いなら代わるよ〉
〈平気〉
サビで新婦の友人たちが笑う。
「次は私の番」
次の瞬間、姉の声ではなく婚約者の声が重なった。
〈酒は抜けた。次は俺の番〉
座席を動かす音。ドアの開閉。運転を交代したのは事故の十五分前だった。姉は助手席に座り、彼は酔ったままハンドルを握った。衝突後、意識のある姉を運転席へ移し、自分だけ救急車を呼んだ。
最後のサビで、紙片が床へ落ちる。裏面にはドライブレコーダーの時刻と音声波形が印刷されていた。依都は披露宴会場のプリンターへデータを送っていた。
婚約者が立ち上がる。新婦は指輪を外し、警察へ通話したスマートフォンをテーブルへ置く。
最後の一音のあと、姉の仮歌が戻る。笑いながら、ブーケを誰へ投げるか相談する声。その奥に、事故当夜の婚約者が鍵を取る音が重なる。
「次は私の番」
幸せを受け継ぐ順番ではなかった。酔った男が運転席と責任を奪い、死んだ姉へだけ罪を残した交代宣言だった。