フラッシュの中の保護犬
保護施設の職員は、白い老犬が譲渡会で毎回うなることに困っていた。
穏やかな家族が手を伸ばしても、歯を見せる。
「このままでは、ずっとここだよ」
職員は何度も言った。
紹介写真を撮り直すため、老犬の隣へしゃがんだ。
カメラのフラッシュが光った瞬間、二人の魂が入れ替わった。
次のフラッシュを浴びるまで戻れない。
老犬の体になった職員は、世界の手がすべて大きく見えることを知った。
頭上から降りる手。
急に抱こうとする腕。
笑顔でも、体は過去の痛みを先に思い出す。
老犬は人が嫌いなのではない。
逃げ道を塞いで「大丈夫」と触られるのが怖かった。
職員の体に入った老犬は、施設の廊下を歩いた。
人の言葉を借りられるのに、最初に言ったのは、
「横」
だった。
職員には意味が分からない。
譲渡会の隅に、毎回来る少年がいた。
ほかの犬へも触れず、床へ横向きに座る。
老犬は職員の体でその隣へ行き、
「この子、横」
と言った。
少年は耳が聞こえにくく、人の口元を見るため正面へ座る癖があった。
犬の前では、怖がらせないよう横を向き、手を出さず待っていた。
老犬が唯一うならない相手だった。
職員は犬の体で少年へ近づいた。
少年は振り向かず、掌を床へ置いた。
逃げ道は開いている。
老犬の鼻が借りた体から、自分の意思でその手へ近づいた。
少年の家族は、老犬を迎える自信がないと言った。
年齢も病気もある。
少年自身も、
「かわいそうだから、では飼えない」
と紙へ書いた。
職員は、すぐ譲渡を勧めるのをやめた。
まず週末だけ一緒に過ごす制度を提案した。
少年の家で、老犬が暮らせるか互いに確かめる。
二枚目の写真を撮る。
少年は横向きに座り、老犬は少し離れて伏せた。
フラッシュが光り、職員と犬は元へ戻った。
写真では、誰も抱きしめていない。
笑顔も正面もない。
それでも老犬の体は逃げる方向ではなく、少年の方へ少し傾いていた。
三か月後、譲渡が決まった。
少年は首輪へ触る前、必ず犬から近づくのを待った。
職員も施設で、新しい犬へ「大丈夫」と言いながら手を伸ばすのをやめた。
相手の体へ入っても、過去の全部は分からない。
ただ優しさにも逃げ道が必要なことを、白い老犬の目の高さで覚えた。