ベランダの五分

休日の午後、ベランダへ出るために、私は洗濯物を片側へ寄せた。

ワンルームの小さなベランダには、室外機と物干し竿と、春に買ったバジルの鉢がある。バジルは夏を越えたころから葉が減り、今は細い茎に三枚だけ残っていた。

水をやるのを忘れた日もある。肥料を買おうと思って買わなかった。枯れかけるたびに慌てて水を注ぎ、少し持ち直すとまた忘れる。鉢を見ると、自分の生活態度を採点されている気がした。植物を育てられる人は、自分の食事も睡眠も整えられる。そんな根拠のない順番を作り、葉が垂れるたび、自分まで世話の足りない人間に見えた。

土曜の十四時、空は曇っていた。部屋の中には、畳んでいない洗濯物と、返していないメッセージと、読みかけの本がある。外へ出ても、向かいのマンションの壁しか見えない。

私はペットボトルに水を入れ、鉢へ少しずつ注いだ。乾いた土は最初、水をはじいた。二度目で色が濃くなり、鉢底から一筋だけ流れた。

スマートフォンのタイマーを五分にして、室外機の横へしゃがむ。椅子を置く幅はない。膝を抱えると、干したタオルが頬に触れた。柔軟剤の匂いと、湿った土の匂いが混ざる。

一分目、下の道路を宅配便の車が通った。二分目、遠くで電車のブレーキが鳴った。三分目、隣のベランダから、布団を叩く音が二回した。

四分目には、何か有意義なことを考えようとするのをやめた。バジルの葉には小さな穴があり、縁が茶色くなっている。水をやったからといって、元気になるかは分からない。

タイマーが鳴った。私は止めたが、すぐには立たなかった。

あと一分だけ、予定にない時間を足す。誰にも遅れない一分だった。

部屋へ戻ると、洗濯物も未読もそのままだった。私は窓を閉める前に、鉢を少しだけ壁際から出した。曇り空の光でも、さっきより葉が見えた。

バジルを救ったわけではない。休日を整えたわけでもない。ただ五分と、追加の一分、ベランダにいた。それを今日の外出として数えることにした。