レシピだけのスレッド
伊織が母から教わった肉じゃがを煮ていると、二人だけのチャットルームに通知が来た。名前は《レシピ交換》。
もともとは料理の写真を送り合うため、伊織が作った部屋だった。けれど最近は、父への不満で埋まっている。
〈今日もお父さん何も手伝わない〉
〈あなたから少し言ってくれない?〉
鍋の中でじゃがいもが崩れかけていた。伊織は火を弱める。
〈この部屋はレシピの話だけにしたい〉
母から〈家族の話でしょう〉。
〈夫婦の相談を、娘に運ばせないで〉
送信すると、母のアイコンが消えた。退室したのではなく、返信が止まっただけだ。それでも伊織には、台所から急に音がなくなったように感じられた。
父の代わりに謝り、母の代わりに注意する。どちらの味方かを決めさせられるたび、自分の夕食まで冷えてきた。
母から電話が鳴った。伊織は切り、肉じゃがの写真を一枚撮った。
〈じゃがいもが崩れた。次は火を弱くした方がいい?〉
しばらくして、母から長い文章が届いた。父の話ではなく、煮崩れを防ぐ手順だった。
〈最初に油で表面を焼くといい〉
その下に、〈さっきの話はもうしない〉と短く付いていた。
伊織は〈夫婦の相談先が必要なら、一緒に探す〉と返した。
〈でも、伝言係はしない〉
母から〈分かった〉。そのあと、肉じゃがの鍋のスタンプが一つ届く。
《レシピ交換》をさかのぼると、最初は味噌汁の濃さや卵焼きの巻き方だけだった。いつからか、料理写真の下へ〈お父さんは食べても礼を言わない〉が付き、伊織が感想を返すまで母の不満が続くようになった。肉じゃがを見るたび父への評価を求められるのが嫌で、作らない時期さえあった。今日は料理を夫婦の採点表から取り戻したかった。
伊織は母の手順を、チャット上部へ固定した。固定したのは父への不満ではなく、油で表面を焼くという一行だった。次にこの部屋を開くとき、最初に見える話題を自分で選べる。
伊織は崩れたじゃがいもを皿へ盛った。形は悪いが、味は染みている。《レシピ交換》にはレシピだけが残った。母との関係を料理だけにするつもりはない。ただ、夫婦の火加減まで娘が見張る必要はなかった。