一皿目で満腹

久住敬太、葉山由佳、篠田壮介は、卒業旅行で「港町の名物を十軒食べ歩く」という計画を立てた。ところが一軒目の食堂で、壮介が大盛りの海鮮丼を頼み、三人ともそこで動けなくなった。

「計画性なさすぎ」と由佳が笑う。

壮介は箸を置いた。「四月から料理人になる奴に言われたくない」

由佳の笑顔が止まる。「ならないよ」

敬太が顔を上げた。「ホテルの厨房、受かっただろ」

「辞退した。食品メーカーの商品企画に行く。料理は仕事にしない」

壮介が「逃げた?」と聞いた。

「母と同じ厨房に立つのが嫌だった。好きなことを、家族への反抗に使うのも嫌になった」

敬太は味噌汁の蓋を閉じた。「俺は逆。会社を断って、父の食堂に入る」

「継がないって言ってたのに」

「父が包丁を握れなくなった」

壮介だけが、丼の米粒を集め続けた。

「お前は?」と敬太。

「世界一周する。料理を食べて回る」

由佳が眉を寄せた。「就職は?」

「決まってない。帰国する頃には二十六。たぶん新卒じゃなくなる」

「それ、夢っていうより逃亡だね」と由佳。

壮介は箸を置き、笑った。「だから由佳と同じだ」

窓の外を観光客が通り過ぎた。三人は大学の料理研究会で、卒業後に店を開く妄想を何度もした。学園祭では一日だけ試験営業し、百二十食を売った。売上金で揃いの包丁を買い、柄へ店名を刻んだ。敬太が厨房、由佳がメニュー、壮介が客席。店名まで決めたのに、一皿も作らないまま閉店した。

「包丁、どうする?」と壮介。

「私は要らない」と由佳。

敬太は自分の一本だけ持って帰ると言った。

「二軒目、行く?」と敬太。

由佳は首を振った。「もうお腹いっぱい」

壮介は残った丼を三等分しようとしたが、具も米も崩れて境界が分からなくなった。

会計後、食堂の箸立てには三膳のうち一膳だけが未使用で残った。店員がそれを揃えて戻すと、他の箸に混じり、どれが三人のものだったか分からなくなった。

十軒分のスタンプカードは、一つだけ印を押されたまま、空いた席の上で油を吸っていた。