一駅ぶんの冒険
常盤井蒼士は、単線の小さな駅で改札を担当している。
朝七時十二分の列車には、決まってミニチュアシュナウザーの切符が見送りに来た。飼い主の男性が駅前の新聞店で働いており、犬は店の入口からホームを眺めるのが日課だった。
ある朝、新聞の束を運ぶ間に切符がいなくなった。
駅の防犯映像を確認すると、開いた通用門を抜け、停車中の列車へ乗り込む灰色の尾が映っていた。
列車はもう、一つ先の駅へ向かっている。
蒼士はすぐ車掌と隣駅へ連絡した。
車内では乗客たちが座席の下や連結部を見た。けれど切符は見つからない。
隣駅では、駅員、売店の店主、通学中の高校生がホームを捜した。列車から降りたらしい小さな足跡が、雨に濡れた床へ続いている。
飼い主は次の列車で向かった。
蒼士も交代の駅員が来てから、駅前の人へ声をかけつつ線路沿いの道を歩いた。
一駅は列車なら四分だが、道では三十分かかる。途中の農家、郵便局、ガソリンスタンドまで、切符の写真が届いていた。
隣駅へ着くと、売店から肉まんの湯気が上がっていた。
「犬なら、さっき裏へ回ったよ」
店主が指した先には、古い荷物用の秤がある。
切符はその下へ入り込み、前足をそろえて座っていた。列車の揺れに驚き、降りたあと、いつもの新聞店に似た紙とインクの匂いを探して売店へ来たらしい。
飼い主がしゃがむと、切符はすぐ飛び出した。
尾と腰を一緒に振り、靴へ何度も鼻を押しつける。
「無賃乗車だぞ」
蒼士が言うと、売店の店主が笑った。
「帰りの切符は買ってもらわないとね」
もちろん犬はキャリーへ入り、飼い主と一緒に列車で戻った。
捜索を手伝った高校生たちへ、売店から温かい肉まんが配られた。蒼士も一つ受け取り、ホームのベンチで食べる。皮を割ると生姜と肉の匂いが立ち、雨の冷たさが指から抜けていった。
翌日、新聞店の入口には丈夫な柵がついた。
切符はその内側から、七時十二分の列車を見送る。
蒼士が改札鋏を鳴らすと、犬は一度だけ吠えた。
一駅ぶんの冒険を知った乗客たちは窓から手を振り、隣駅の売店主も荷物に短い手紙を添えるようになった。
朝の駅には新聞のインク、濡れた鉄、蒸した肉まんの残り香が混じる。
線路は昨日まで二つの駅を結ぶだけだった。今はその間に、犬を捜した人々の顔と声まで並んでいるように見えた。