三十歳までの契約書

日付が変わるまで十分。高城晴彦は披露宴後のテラスで、倉本鈴からのメッセージを見つめていた。

〈契約、まだ有効なら来て〉

二十四歳で別れた夜、二人は冗談半分の契約書を書いた。三十歳になっても互いに独身なら結婚する。鈴の三十歳の誕生日は、今日の深夜零時。そして彼女は数時間前、別の男と式を挙げた。紙は財布の透明ポケットで擦れ、署名だけが濃く残っている。晴彦は更新された免許証より長く、その約束を持ち歩いていた。紙だけが先に三十歳になりそうだった。

晴彦は会場へ招待されていたが、二次会を抜け、契約書を財布に入れてテラスへ来た。鈴が一人で待っている。

「呼んだのは、どういう意味だ」

「私、呼んでない」

画面を見せると、鈴の顔色が変わった。

「それ、昔の下書き」

メッセージ詳細には、作成日時が六年前と表示されている。鈴は別れた翌月、三十歳の誕生日に届くよう予約送信し、その翌日に解除したつもりだった。結婚式で古い端末から写真を復元した際、停止されていた予約まで再登録されたらしい。

「送ろうとしたことはあったんだな」

「一晩だけ。あなたが戻ってくる理由を、未来に置いておきたかった」

「俺は契約なんて忘れたと思ってた」

「忘れるために解除した」

晴彦は財布から折り畳んだ紙を出した。鈴の署名も、ふざけて押した拇印も残っている。彼は今日まで持っていた。

遠くで新郎が鈴を探す声がした。

「今、有効だと言ったら?」

「私はもう独身じゃない」

「零時までは二十九歳だ」

「条件は年齢じゃなくて、互いに選べることだったでしょう」

正しかった。契約は未来の自分へ選択を丸投げする紙で、約束ではない。六年前の鈴は呼ぼうとし、六年前の鈴が取り消した。届いたのが今日でも、選んだ日はもう過ぎている。

残り一分。鈴の新しい名字を呼ぶアナウンスが流れる。

晴彦はテラスのキャンドルへ契約書の角を近づけた。火が署名を舐め、二人の拇印を黒く縮める。

零時になる前に、予約送信のメッセージも削除した。