三行先の交換日記
学校へ行けなくなった娘と母は、会話の代わりに交換日記を始めた。
夜、母が日記を閉じると、最後の頁へ翌朝二人が最初に交わす三行だけが浮かんだ。
「起きられる?」
「無理」
「少しだけでも」
母は予告を読み、三行目を変えようとした。
翌朝は「休んでいい」と先に言う。
すると日記の文章とは違う会話になり、娘の顔が少し和らいだ。
母は未来の三行を使い、喧嘩を避けた。
「宿題は?」と書かれていれば聞かない。
「病院へ行こう」とあれば別の日へずらす。
会話は穏やかになった。
けれど娘は、だんだん日記へ何も書かなくなった。
「お母さん、私が言う前に答えを用意してる」
「喧嘩しない方がいいでしょう」
「私が何を言っても、もう明日の正解があるみたい」
母は、未来を知ることで娘の言葉を聞かずに済ませていた。
傷つけない代わりに、驚くことも迷うことも奪っていた。
ある夜、日記に現れた三行は短かった。
「おはよう」
「おはよう」
「行ってきます」
娘は半年、学校へ行っていない。
母は胸が高鳴った。
制服を出し、朝食を用意し、担任へ連絡しようとした。
しかし途中で手を止めた。
未来を実現する準備までしてしまえば、娘はまた台本を読まされる。
日記を閉じ、何もしなかった。
翌朝、娘が自分で起きてきた。
「おはよう」
母が答える。
「おはよう」
娘は制服ではなく私服を着て、鞄へ本を一冊入れた。
玄関で靴を履く。
「行ってきます」
予告の三行が終わった。
母は、
「学校?」
と聞きそうになった。
四行目は日記にない。
だから自分で選んだ。
「気をつけて」
娘は地域の図書館へ行き、学校の相談員と一時間だけ話した。
教室へ戻ったわけではない。
それでも家の外へ出て、自分で帰ってきた。
その夜から、交換日記は未来を書かなくなった。
母と娘は普通の言葉を一行ずつ残した。
「今日はどこまで行けた」
「駅まで」
「明日は?」
「明日決める」
三行先が見えなくても、会話は続いた。
未来の正解より、四行目を相手へ渡したまま待つことの方が、娘の歩幅を守った。