乳歯の箱の持ち主

桐の小箱を振ると、乾いたものが小さく転がった。

奏乃が蓋を開けると、綿の上に乳歯が五本並んでいた。一本ごとに日付が書かれ、奥にはへその緒の箱もある。母は引き出しの中身をのぞき、「それはあなたの」と言った。

「私の歯なのは分かるけど」

「じゃあ持っていって。大事なものだから」

新居用の段ボールには、母が選んだ食器と衣類が詰まっている。持ち帰り用の箱には、奏乃が選んだ本が三冊だけ。母はそこへ桐箱を入れようとした。

奏乃は箱を受け取り、もう一度中を見た。乳歯は記憶より小さく、宝物というより、誰かが長く守った標本に見えた。

「私、これを残したいと思ったことないよ」

「見れば思い出すでしょう。初めて抜けた日のこと」

「覚えてない」

「お母さんは覚えてる。夜中に泣いて、枕の下に――」

母は途中で口を閉じた。

奏乃は綿を指先で整えた。

「それなら、お母さんの思い出だよ」

「でも、あなたの体の一部よ」

「持ち主と、残したい人は同じじゃなくていい」

母は困った顔で小箱を見た。捨てろと言われたように感じたのかもしれない。奏乃は蓋を閉め、母の新居用の箱へ戻す。

「持っていていいよ。お母さんが持ちたいなら」

「あなたが要らないって言ったものを?」

「要らないんじゃなくて、私には預からないってこと」

その違いを、母はすぐには受け取れなかった。桐箱を両手で包み、畳の上へ置いたままにする。

引き出しの底から、油の染みた小さな紙が出てきた。母の字で、卵焼きの砂糖と塩の量が書いてある。奏乃はそれを広げた。

「これはもらっていい?」

母は意外そうに瞬いた。

「そんな紙でいいの」

「これがいい」

「卵二個なら、砂糖はもう少し――」

「作るときは私が決める」

母は言い直さず、紙を四つ折りにした。桐箱のように包まず、奏乃の手へそのまま渡す。

片づけが終わる頃、母は乳歯の箱を自分の鞄へ入れた。奏乃の箱には卵焼きのメモだけがある。

玄関で母が、「捨てたくなったら、どうしよう」と聞いた。

「そのとき、お母さんが決めて。私に許可を取らなくていい」

母は鞄の口を閉じた。

奏乃は小さな紙を財布へしまった。自分の体の欠片ではなく、これから自分の味に変えられるものを持って帰った。