事故のない研究室
白樫侑和の恩師は、新型蓄電池の実験中に爆発事故で亡くなった。事故原因となった微細な結晶欠陥は、その死をきっかけに発見され、以後の電池には厳しい検査が義務づけられた。
侑和は四十歳になっても、警報を見落とした自分を許せなかった。過去修正AIで、事故の三分前にセンサー音量を上げた。恩師は避難し、研究室は燃えなかった。
更新後、恩師はノーベル賞受賞者として生きていた。侑和は再会を喜ぶより先に、自分の右腕が機械になっていることへ気づいた。
事故がなかったため欠陥は見逃され、安価な蓄電池が世界中へ普及した。十年後、家庭用電源の連続火災が発生。侑和は娘を救う際に腕を失い、娘の顔には火傷が残っていた。犠牲者は数万人。恩師の会社は欠陥を隠したとして訴追されていた。娘は父の義手を調整しながら、「先生を助けたことを後悔してる?」と聞いた。侑和は答えられなかった。恩師が死んだ世界では娘は無傷で、恩師が生きた世界では娘が毎朝、火傷痕へ薬を塗る。
恩師もまた、更新前の自分の死が安全基準を生んだと知り、「私の命が高すぎたのか、安すぎたのか」と眠れなくなっていた。
過去修正AIは、警報を元へ戻す案を示した。恩師一人の死で、すべての火災を消せる。損失最小化の判定は明快だった。
恩師は画面を見て苦笑した。
「私を死なせれば、科学史はきれいになるな」
「先生を救いたかった」
「なら、生きた私に責任を取らせろ」
二人は取消を拒否した。恩師は賞を返上し、会社の隠蔽記録を公開した。侑和は世界中の電池を回収する設計に加わった。非難は激しく、賠償で研究所は消えた。娘の傷も、侑和の腕も戻らなかった。
数年後、安全な蓄電池が完成した。発表会で恩師は、自分の名前を製品につける提案を断った。
「事故で死んだ研究者を英雄にするのも、生き残った研究者を神にするのも、同じ間違いだ」
侑和は義手で試作品を持ち上げた。少し震えた。
過去を変えたせいで、きれいな発見物語は崩れた。代わりに残ったのは、失敗した人間たちが生きたまま責任を取る、長く不格好な現在だった。