二箱ぶんの暮らし
佐伯音羽が哲生の部屋へ運ぶよう言われた荷物は、段ボール二箱ぶんだった。
「必要な物だけでいいよ。足りなければ買えばいいし」
哲生の部屋には、すでに二人用の食卓も大きなテレビもある。食器は白で揃い、タオルの色まで決まっていた。音羽が持ち込まなくても、暮らしは完成している。
同棲の提案を受けたとき、音羽は嬉しかった。二十九歳の誕生日を前に、行き来する生活が一つになる。二箱で移れる身軽さも、格好よく思えた。
けれど荷造りを始めると、二箱はすぐ埋まった。仕事机ではなく、趣味の刺繍枠。高価な服ではなく、形の違う五つのマグカップ。哲生の部屋に同じ用途の物はある。それでも音羽が持っていきたいのは、自分が選んだ物だった。
スマートフォンには二件の見積りがある。哲生の部屋まで運ぶ単身便は安い。新しい部屋へ二人分を運ぶ便は、その四倍だった。
音羽は不動産会社へ一回だけ電話した。
「二人とも今の部屋を出て、新しく借りたいんです。来週、内見できますか」
電話を切ると、哲生が眉をひそめた。
「ここでいいのに。家具も全部あるよ」
「全部あるから、私は二箱しか入れない」
「物にこだわりすぎじゃない?」
そうかもしれない。新しい部屋を借りれば、礼金も引っ越し代もかかる。哲生が面倒になり、同棲をやめる可能性もある。
音羽は安い見積りを削除し、二人分の見積りへ仮予約を入れた。
音羽は箱を開け直し、持っていきたい物を床へ並べた。刺繍糸、欠けたカップ、読み返さない詩集。哲生には価値が伝わらないかもしれないし、音羽も彼の大量の配線や古いスピーカーを理解できないだろう。新しい部屋を選んでも公平にはならない。ただ、理解できない物同士が最初から場所を交渉できる。
二人分の余白は、最初から二人で作りたかった。音羽の物だけを減らして生まれた空間を、共有と呼ぶことはできなかった。
段ボールには封をしなかった。哲生が内見に来なければ、荷物は今の棚へ戻す。それでも、自分だけが完成した部屋へ縮んで入るより、二人とも箱を作る面倒を選んだ。