値札のない指輪
競売会社の鑑定責任者、伏見甲斐は、玩具の虫眼鏡で宝石を見る。
深緑のベルベットベストに金の蝶ネクタイ。専門家用のルーペを胸に挿したまま、子ども向けの赤い虫眼鏡を覗き込む。
「値段は告白じゃない」
見習いの鳩山凛々子が持ち込んだのは、自分の婚約指輪だった。結婚はなくなり、急な引っ越しの敷金が必要になった。社内の誰にも知られず売りたいという。
甲斐は赤い虫眼鏡を当て、あっさり言った。
「石は合成。台座にも傷。期待の半分だ」
「そんなに安いんですか」
「安いのは物だ。君ではない」
「分かっています」
分かっている声ではなかったらしい。甲斐は査定書を伏せ、指輪を分解できることを説明した。金属だけならすぐ換金でき、敷金の大半になる。石は手元に戻せる。
「全部売った方が、きれいに終われます」
「終わらせ方まで市場価格に決めさせるな」
凛々子は迷い、台座だけを売ることにした。甲斐は社員取引を避け、別支店の査定と相見積もりを取り、手数料も通常どおり記載した。急いでいると知っても即金の安い業者へ回さず、入金日が敷金の期限に間に合うかまで確認する。情けを値引きに見せないためだった。甲斐は買取伝票の品名を「婚約指輪」ではなく「貴金属台座」とした。凛々子の事情も結婚の有無も、社内備考へ残さない。取引に必要な情報だけで、彼女の秘密ごときちんと終わらせた。
外された石は、裸になると小さく、少し曇っていた。甲斐が玩具の虫眼鏡を差し出す。
中には微細な気泡が一つある。欠陥だ。けれど赤い輪を通して見ると、その気泡は読点のような形をしていた。
「だから玩具を使うんですか。傷を大きく見ないために」
「逆だ。専門の目は欠点を値段へ変える。これは、値段にならない形を見る」
翌週、凛々子は敷金を払い、新しい部屋の鍵を得た。段ボールしかない床で最初に開けた荷物は、赤い虫眼鏡を借りて選んだ透明な小瓶だった。石を入れると、朝日が気泡を壁へ映した。
甲斐は査定書の金額欄へ赤い虫眼鏡を置く。
「値段は告白じゃない。売った理由も、残した理由も、説明しなくていい」
読点のような気泡は、終わり損ねた印ではなく、次の文を始めるための小さな間に見えた。