六センチ先の席

佳月の隣には、いつも仕事の速い人が座っている。

六センチほど開いた机の隙間から、キーボードの音が絶えず聞こえた。午前中に返信したメール、処理した申請、完成した資料。共有ボードの数字が増えるたび、佳月は自分の画面を小さくした。

本当は担当が違う。隣は定型処理が多く、佳月は問い合わせ内容を調べてから返す。それでも同じ「完了件数」として並ぶと、理由は言い訳に見えた。昼休みも席に残り、一件でも数字を近づけようとした。

佳月は毎朝、共有ボードを開く前に隣の数字を予想した。予想より多ければ焦り、少なければ少し安心し、そんな自分を嫌った。隣が席を外すと、画面を覗きたい衝動まであった。仕事の速さを学ぶつもりが、相手の疲れや担当内容を消し、数字だけの人にしていた。自分も同じように、一日の価値を完了件数だけへ縮めていた。六センチの隙間は、机より気持ちの方で狭くなっていた。

木曜日、複雑な返品依頼が来た。規約を三つ確認し、倉庫へ電話しなければならない。隣の数字はその間に五つ増えた。佳月は焦って返答を書き、確認前に送信しかける。

机の隙間へ消しゴムが落ちた。拾おうと椅子を引くと、隣の人の弁当箱が見えた。蓋は閉じたまま、机の下に置かれている。速い人も昼休みを逃していた。

佳月は送信をやめ、共有ボードの表示を閉じた。数字を消す権限はないが、自分の画面から隠すことはできた。

倉庫へ電話し、規約を確認する。返答を送れたのは三十分後だった。完了件数は一つしか増えない。

十二時五十分、佳月は「昼休憩」と状態を変えた。隣ではまだキーボードが鳴っている。置いていかれるような気持ちは残ったが、その音に合わせて食べる速さまで決めるのはやめた。

休憩室で、持ってきたおにぎりを開く。海苔が少し湿っていた。佳月は共有ボードを確認せず、最後まで噛んだ。

席へ戻ると、六センチの隙間は同じ幅で空いていた。そこを埋める必要はないまま、佳月は次の一件を開いた。