写真に写らない湯気
動画投稿を仕事にしている莉都は、新しくできた喫茶店へ撮影に来た。
白い壁、真鍮の照明、整然と並ぶカップ。窓から入る光もきれいで、どこを切り取っても画面になる。
季節のタルトとカプチーノを窓際へ運んでもらい、角度を変えて何枚も撮った。苺の断面、泡に描かれた葉、フォークを入れる瞬間。冷める前に、と店主の澄江が言ったが、莉都は「あと少しだけ」と答えた。
撮影を終えた頃、カプチーノの泡はしぼみ、タルトのクリームは柔らかくなっていた。
隣の席に、小学生くらいの少年と祖母が座った。二人はホットココアを一つずつ頼んだ。少年は運ばれたカップへ顔を近づけ、立つ湯気に「あったかい匂い」と言った。
祖母は「匂いは写せないねえ」と返した。
莉都は画面いっぱいの写真を見た。明るさも色も完璧だった。けれど、ひと口目の温度はもう戻らない。
「もう一杯、頼んでもいいですか」
今度は普通のブレンドにした。澄江が注いだカップを、撮影せず両手で包む。陶器越しの熱が指へ移る。飲めば香ばしさと酸味があり、舌の先を少し火傷した。
莉都は思わず笑った。
少年もココアの口ひげをつけて笑っている。祖母が紙ナプキンで拭うと、チョコレートの甘い香りがこちらまで届いた。
投稿には最初に撮った一枚だけを使った。文章には、店の場所と営業時間、それから「飲み物は温かいうちに」と書いた。
帰り道、スマートフォンを鞄へしまう。画面には残らなかったが、指先にはカップの丸みがあり、喉には熱があった。写真にできないものを持ち帰るのも、たまには悪くなかった。
夜、投稿にはたくさんの反応がついた。その中に「あったかい匂いって、どんな匂いですか」と質問があった。莉都は返事を書きかけ、やめた。説明するより、飲みに行くほうが早い。代わりに店の地図を送り、次は撮影せず会おうと友人を誘った。
返信を終えると、舌の火傷がまだ小さく疼き、今日の一杯を思い出させた。