十分の兄
榊田凪紗が人工心臓の順番を得るには、治療口座へ一年分を集める必要があった。本人の残高は三日。両親も借金を抱え、寄付募集を始めたが、見知らぬ病人へ一年を渡す人はいなかった。
疎遠だった兄から届いたのは、十分だけだった。
凪紗は腹を立てた。兄は都市部で働き、家族を捨てた人だと思っていた。十分では検査一つ受けられない。端末には《少額寄付》と冷たく表示された。
翌日、兄が病室へ来た。四十歳なのに老人のように痩せていた。彼の残高は零秒だった。十分は、夜勤を増やして当日の朝に得た全額だった。時間が尽きた者は生命維持区域から出られないため、兄は送信直後に倒れ、救急搬送されてきたのだ。
「少なくて、ごめん」
兄はそれだけ言い、隣の病室で亡くなった。
凪紗は寄付ページを閉じようとした。十分で命を差し出した兄に、知らない人の一年を求めることが醜く感じられた。すると兄の同僚が、寄付欄に十分を送った。次に食堂の店員、配送員、夜勤警備員。
《あいつが全部だった十分なら、私も十分》
その言葉が共有され、十分ずつの送金が始まった。大口寄付は一つもなかった。六人で一時間、百四十四人で一日、五万二千五百六十人で一年。三週間後、治療口座は満たされた。
手術を終えた凪紗は、胸の音を聞くたび兄の十分を探した。どの鼓動が兄の分かは分からない。寄付者全員の時間が混ざり、切り分けられないからこそ生きている。
退院後、凪紗は少額寄付の相談員になった。端末は一秒や十分を「効果僅少」と表示する。彼女はその横へ手書きで添える。
《誰かの全部である場合があります》
兄からもらったのは十分の寿命ではなかった。自分一人では届かない一年を、人と人の間に作る方法だった。
凪紗は毎年、兄の命日に十分を寄付した。大きな額を送れる年でも、十分にした。少なさを恥じないためであり、兄が最後に持っていた全額を忘れないためだった。相談窓口には、寄付後残高が十一分しかない人も来る。凪紗は必ず、まず自分の一分を残してくださいと伝えた。