午前零時の勤怠

「零時を過ぎたら、仕事じゃない」

伏見修平は、深夜作業になるたび冗談めかして言った。

もちろん現実には、零時を過ぎても仕事は仕事だ。勤怠の日付が変わり、夜食の領収書が翌日扱いになるだけ。石渡梨央はその台詞を聞くたび、「労務に怒られますよ」と返していた。

大規模障害が起きた夜、二人は三十時間近く対策室にいた。伏見は指揮担当、梨央は復旧担当。画面が赤い間は、私的なことを持ち込まない。それが二人の暗黙の決まりだった。

眠気で梨央の手が止まると、伏見は無言で温かいスープを置いた。伏見の声がかすれれば、梨央は代わりに状況説明を引き取った。触れなくても、互いがどこにいるかだけはずっと分かっていた。

午後十一時五十七分、最後のサーバーが正常に戻る。

「監視、三分」

「再発なしなら解除します」

秒針の音だけが響いた。互いに何か言いたそうなのに、二人とも緑になるまで画面から目を離さない。

午前零時。監視欄がすべて〈正常〉へ変わった。

伏見が障害対策チャットを閉じる。梨央も最終報告を送信した。二人で勤怠端末へ行き、順に社員証をかざす。

〈退勤 00:01〉

機械音が鳴った瞬間、伏見は首から社員証を外した。

「ここからは、指揮担当ではありません」

「私は復旧担当でもない?」

「はい」

彼はポケットから二枚の紙を出した。二十四時間営業の店ではなく、今週土曜のレストラン予約。障害が起きる前の日付で取られていた。

「復旧したら渡すつもりでした。長引いたら、何度でも取り直すつもりで」

「業務の打ち上げですか」

「違います。梨央さんと行く予定です」

伏見は紙を渡す代わりに、彼女の手の上へ重ねた。疲れた指同士が触れ、そのまま絡む。梨央は予約票を握るより先に、彼の手を握り返した。

外へ出ると、街は翌日の静けさだった。伏見がタクシー乗り場ではなく、夜明けまで開いている喫茶店の方向を示す。

「少しだけ、話しませんか」

「勤務時間外ですよ」

「だからです」

梨央は彼の肩へ寄り、歩き出す。

零時を過ぎたら、仕事じゃない。

何度も冗談だったその台詞が、午前零時一分、二人の時間を始める本当の合図になった。