午後十一時の衛星
衛星画像解析スタートアップ「オービタルノート」への買収会議で、近衛谷航は買い手側の法務一年目だった。会社の価値は、自社専用の高解像度衛星データを十年間独占利用できる契約にある。買収額は百五十億円。
説明資料には「独占権取得日 四月一日」。その日から蓄積した農地画像が、AI精度の源だとされていた。
航は原契約の電子署名を検証した。署名時刻は四月三十日午後十一時七分。四月一日ではない。
創業者は、契約書を月末に形式化しただけで、口頭合意は一日から有効だったと答えた。
しかし衛星運営会社の回答書では、四月二十九日まで同じ画像を三社へ販売している。独占提供が始まったのは五月一日。四月分の学習データは、一般販売版を無断複製したものだった。
さらに契約書の別紙には「過去データへの権利を含まない」とある。買収資料では、その一行だけが削除されていた。削除版の作成時刻は買収会議前日の午後十一時四十六分、編集者は創業者。
買収責任者は、今後十年の独占権があれば価値は変わらないと言った。
航はAIの精度検証表を示した。優位性の九割は四月以前の二年分の画像に依存している。そのデータを使う権利がなければ、モデルを再学習しなければならない。
創業者は、法務の新人に技術価値は分からないと笑った。
「技術価値ではなく、日付を見ています。四月一日の資産を、四月三十日の署名で所有はできません」
航は四月以前の画像データ購入費も確認した。支払先は衛星運営会社ではなく、創業者個人のクラウド口座で、請求書番号も存在しない。AI学習ログには三月十五日から画像を読み込んだ記録があり、権利取得前の利用が一か月半続いていた。
衛星運営会社は、無断利用分について差止めを検討中だとも回答した。買収後すぐに使えるはずのAIが、買収と同時に止まる可能性さえあった。
買い手社長は百五十億円の署名欄を伏せた。午後十一時七分に手に入れた衛星は、四月の空まで遡れなかった。