司書席から見えない場所
図書室には、司書席からだけ見えない場所があった。
地理の大判本が並ぶ棚の裏。窓からも入口からも死角になる。
彼はそこで、毎日眠っていた。
最初は授業をサボる不良だと思った。図書委員の私は注意しようとしたが、近づくと制服から揚げ物の匂いがした。
家の食堂を、夜遅くまで手伝っているらしい。父親がけがをしてから、閉店後の片づけまでしている。家では弟と同じ部屋で、朝も早い。
「保健室で寝れば」
「理由、聞かれる」
「ここでも聞いてる」
「まだ先生じゃない」
彼は鞄を枕にし、十分だけ、と目を閉じた。
私は見逃した。
翌日から、返却本を並べる台を少しずらした。司書席から死角が広がった。彼が眠る間、私は棚の前で書架整理をした。
起こす時刻になると、本を一冊だけ床へ落とした。
どん、という音で彼は目を覚ます。
「雑」
「目覚まし時計じゃないから」
そんな日が続いた。
ある日、彼は来なかった。教室にもいない。担任は欠席理由を知らなかった。
放課後、図書室の死角に行くと、鞄だけが置いてあった。中から食堂の伝票と、赤点の答案が何枚も出てきた。
眠る場所を守るだけでは足りなかった。
翌日、彼が来ると、死角の床に参考書を積んでおいた。
「寝床、狭い」
「半分は勉強」
「無理」
「十分寝て、十五分だけ」
彼は嫌そうな顔をしたが、赤点の答案を隠さなかった。
私は数学を教えられない。代わりに、得意な同級生へ相談した。家の事情は言わず、「図書室で勉強する人がいる」とだけ伝えた。
やがて死角には三人集まるようになった。最初の十分は彼が眠り、私たちは黙って本を読む。目覚めたら、問題集を開く。
司書の先生はたぶん気づいていた。返却台を元へ戻さず、閉館時刻を少しだけ待ってくれたからだ。
学期末、彼は赤点を一つだけ残した。
「全部じゃないの?」
私が言うと、彼は笑った。
「寝る時間も必要」
正しかった。
冬休み前、父親のけがが治り、食堂の手伝いは減った。彼はもう死角で眠らなくなった。
それでも放課後になると、同じ場所へ来て参考書を開く。
「司書席から見えないのに、真面目だね」
「見てる人いるから」
彼は私を指した。
私は返却本を一冊落とした。今度は目覚ましではなく、照れ隠しだった。