名前を呼び直す

同窓会の名札に、瑛茉の名前は「えみ」と振られていた。

正しくは、えま。高校の入学式で担任が読み間違え、教室の誰かが「エミちゃんの方が呼びやすい」と笑った。その日から三年間、瑛茉は訂正できなかった。

窓際の席で出席を取るたび、「えみ」と呼ばれて手を挙げた。自分の名前なのに、借りた返事をしているようだった。

ただ一人、柚月だけは小声で「えま」と呼んだ。卒業式の日、靴箱で別れるときも、「瑛茉って字、好きだよ」と言ってくれた。けれど二人は進学先が離れ、その後ほとんど会わなかった。

成人後の職場では名字で呼ばれる。美容院や病院で読みを尋ねられても、「どちらでも」と答える癖が残った。間違われることより、訂正して場を止めることの方が怖かった。

同窓会の司会が、名札を見て声を上げた。

「エミ、久しぶり!」

懐かしい呼び名が集まり、瑛茉はいつものように笑いかけた。そのとき、後ろから「えま」と呼ぶ声がした。

柚月だった。十年前と同じ読み方で、ただ名前を呼んだ。

瑛茉は息を吸った。

「私、えまです」

大声ではなかった。司会は「あ、ごめん」と名札の振り仮名を二本線で消した。誰かが「ずっと勘違いしてた」と言い、会話はすぐ次へ流れた。

三年間言えなかったことは、三秒で終わった。だからこそ、瑛茉の手はしばらく震えた。

柚月が新しい名札を持ってきた。瑛茉は自分で「えま」と書く。丸文字でも、きれいな字でもない。それでも初めて、胸元の名前が自分の声と重なった。

帰宅後、会社のメール設定を開いた。表示名は名字だけにしていたが、フルネームへ変更する。読み仮名の欄にも、迷わず入力した。

過去の教室で返事をした自分を責めない。あの頃は声が出なかった。

変更を保存すると、社内チャットに自分の名が新しく表示された。誰も反応しなかった。その何も起こらなさが、瑛茉には自由だった。

今度は、自分の声で返事をした。

今は一度呼び直せる。その一度から先の時間を、自分の名前で歩けばいい。