味見は閉店後に

レストランの厨房は、午前零時にガスが止まる。

 凛花と創は、料理長昇格試験の最後の一皿を同時に仕上げた。選ばれるのは一人。判定は明朝だ。

「味見する?」

 創が自分のソースを小皿に取った。

「しない」

「敵の味、知りたくない?」

「味見しない」

 凛花は創が好きだった。包丁の音で機嫌が分かり、塩を取る手が重なるだけで心臓が跳ねる。

 けれど今告げれば、創が審査で遠慮するかもしれない。味を甘く評価し、席を譲るかもしれない。勝つにしても負けるにしても、恋を混ぜたくなかった。

 二年前、凛花が初めてソースを焦がしたとき、創は黙って自分の鍋を半分渡した。翌日からは一度も助けなかった。失敗のたび、原因だけを短く言った。その厳しさが嬉しかった。厨房では好意より信頼のほうが役に立つ。だから二人は、休日に偶然会っても店の外で食事をしなかった。今夜、ステンレス台に並ぶ二皿は、どちらも相手の癖を知り尽くした味になっていた。焦がしバターの香りと食器洗浄機の蒸気が、閉店後の静かな厨房にだけ残っていた。

 店内では最後の客が会計をしている。ガス停止まで十五分。

「俺、明日負けても店を辞めないよ」

「聞いてない」

「凛花は?」

「勝つから考えてない」

「そういうところ、好きだな」

 創は簡単に言った。凛花の手が止まる。

「今言う?」

「今しか二人にならない」

「私は言わない」

「どうして」

「味見しないから」

 二度目は、料理以外の意味だった。

 料理長が戻り、二皿に封をして冷蔵庫へ入れた。「判定は九時。二人とも片づけたら帰れ」

 残り五分。創は試作用の小さなタルトを半分に切り、自分の側へ置いた。

「これは審査外」

「だから?」

「閉店後」

 凛花はエプロンを外し、ガスの元栓を締めた。

「仕事の味見はしない」

 三度目だけ、条件を足した。

「でも、あなたが作ったものを食べたくないわけじゃない」

 彼女は自分のスプーンを創の皿へ置き、代わりに彼のスプーンを取った。午前零時、二人で同じタルトの左右を崩した。