売れない色のコート

環はアパレル店で、売れる色しか客に勧めなかった。黒、紺、ベージュ。失敗しにくく、返品も少ない。自分の服も同じ色で揃えていた。似合うより、浮かないことの方が大切だった。

 冬から入った雨宮弦は、無口な在庫担当だった。接客には出ず、倉庫で服を色順に並べる。話す代わりに、売れ残った服のしわを丁寧に伸ばす人だった。

 閉店後、環が試着室を点検していると、弦が鮮やかな緑のコートを掛けた。今季一枚も売れていない商品だ。値下げ札の裏に、小さく書いてある。

『売れないと思う服を、一着だけ着て帰る』

「制服のまま帰れます」

 弦はコートの袖を持ち上げ、試着室を指した。

「似合わなかったら?」

 肩をすくめる。似合う基準も、着る理由も教えない。

 店長はいつも「迷った客には無難な方」と言った。それは売場では正しい。環はその言葉を私服にも持ち帰り、友人との食事でも目立たない席と服を選んだ。派手な色を着て似合わなければ、選んだ自分の感覚まで笑われる気がする。緑のコートは、誰にも頼まれていないのに試着室の中で存在を主張していた。

 環はカーテンを閉めた。試着室の白い灯りの下でも、その色は少しもおとなしくならなかった。緑は鏡の中でうるさいほど明るかった。顔色が悪く見える気もする。明日のスタッフに写真を撮られたら、意外だと笑われるだろう。

 脱ごうとしたとき、ポケットの奥に小さな糸くずを見つけた。弦が検品で見落としたのかと思ったが、それは同じ緑色の短い毛糸だった。誰かが試着し、買わずに戻した痕跡かもしれない。売れない服にも、袖を通した人はいた。

 環はコートの前を閉じた。いつもの黒い上着は紙袋へ入れる。レジで社員購入の処理をすると、弦は何も褒めず、値札を切った。

 スタッフ口を開けると、冷たい夜気が入った。商店街には閉店後の暗いガラスが並び、その一枚一枚に緑色の自分が映る。

 環は紙袋から黒い上着を出さなかった。明るすぎるコートのまま、正面通りへ一歩出た。