夢の又貸し禁止

末永塔子は、自分の部屋で他人の夢を見るようになった。

深夜のコンビニでレジを打ち、知らない父親の薬を数え、始発の窓へ額をつける。朝には八時間働いた疲れだけが残る。

小説を書いている塔子には、その夢が魅力的でもあった。知らない人生の手触りが、原稿へいくらでも使えた。

眠れないことだけ相談しようと、〈夢路不動産〉を訪ねた。

夢路睡は、トレンチコートの下に青い縞のパジャマを着て、額へ紫のアイマスクを上げていた。机には枕の形をした朱肉入れがある。

「又貸しは、禁止です」

「部屋は誰にも貸してません」

「夢を借りています」

睡は夜の部屋で、枕へ耳を当てた。天井から、レジの電子音がかすかに降る。

真上の住人が、自分では抱えきれない夢を無意識に階下へ流しているという。遮断すれば塔子は眠れる。ただし、夢の持ち主は再び一人で全部を見る。

「相手の許可を取って、一晩だけ借りることはできますか」

「資料として?」

「……はい」

睡は枕形の朱肉へ指を置き、賃貸契約書の『用途』を示した。

「他人の夜勤も看病も、背景素材ではありません」

「書くなってことですか」

「書くことと、勝手に住むことを同じにしないでください」

塔子は腹が立った。けれど原稿を読み返すと、夢で見た人の痛みを、自分の感性のように整えていた。相手の顔も名前も知らないのに。

睡は天井へ紫のアイマスクを貼り、夢の通路を塞いだ。そのあと、上の住人へは管理会社を通して睡眠外来と生活相談の案内を届けた。塔子の名は出さなかった。

「これで終わりですか」

「あなたの夢が、まだ戻っていません」

睡は事務所の長椅子へ白い枕を置いた。塔子が横になると、彼は青い縞の袖で照明を半分隠し、来客札を『休憩中』へ裏返した。

久しぶりに見た自分の夢は、何も起きない台所だった。湯気の消えたマグカップと、書きかけの一行。塔子はそこで、派手な人生を書けなくなるのが怖くて、日々の小さな感情を捨てていたことを思い出した。

目覚めると、睡がアイマスクを下ろしたまま椅子に座っていた。眠っているようで、塔子が起きた瞬間に言う。

「又貸しは、禁止です」

「もう借りません」

「相手の夢だけではありません」

睡は枕形の朱肉で、塔子の原稿の余白へ『返却済』と押した。

「自分の夢を、売れそうな物語に明け渡すのも禁止です」