嫌いな男の腎臓
綱島紗英は、刑務所の看守だった。
受刑者に同情しないことを誇りにしていた。とくに放火犯の堂前。彼の火事で二人が死に、本人は裁判でも謝らなかった。
「人は変わらない」
紗英は新人へいつもそう教えた。
三十九歳で腎不全になると、職員医療制度が予備肉体から腎臓を用意した。
手術後、提供元の番号を見て、紗英は凍りついた。
堂前の複製体だった。
重犯罪者は死刑廃止後、医療資源用の予備肉体を無償提供する制度になっていた。遺伝子は調整され、拒絶反応はない。
「犯罪者の臓器ではありません。生体材料です」
医療AIはそう説明した。
それでも紗英は、腹の中に堂前がいる気がした。
眠ると、知らない記憶のような夢を見た。灯油の匂い、狭い台所、泣く子ども。移植臓器に記憶は残らない。医師は心理的反応だと言った。
紗英は提供施設を訪れた。
堂前と同じ顔の予備個体が、ベッドで絵を描いていた。臓器の成熟を促すため、最低限の人格が形成されていた。腎臓を一つ失った彼は、紗英を見ると腹を撫でた。
「そっち、寒くない?」
意味の分からない問いだった。
紗英は刑務所で堂前に会った。
「子どもの頃、台所で何があった」
堂前は初めて表情を変えた。父親が母親へ灯油をかけた夜、幼い弟を抱いて逃げたこと。裁判では情状狙いと思われるのが嫌で話さなかったこと。
それで罪が軽くなるわけではない。堂前自身もそう言った。
「俺が燃やした家の人には、俺の昔なんか関係ない」
紗英も同意した。
だが、人は一つの行為だけでできている、という自分の考えは崩れた。
彼女は予備個体の人格登録を申請し、「燧」と名づけた。堂前は面会を拒んだ。自分の顔をした無実の人間に会う資格はない、と。
紗英は看守を辞めなかった。
ただし新人への言葉を変えた。
「人が変わるかは分からない。でも、分かったつもりになるな」
腹の傷が疼く夜、彼女は腎臓へ感謝しなかった。
これは贈り物ではなく、制度が奪ったものだ。
だからこそ紗英は、燧が退所して最初に借りる部屋の保証人になった。
嫌いな男を赦さず、そのコピーを一人の人間として守る。それが彼女の残りの人生になった。