屏風の中の五十四キロ

博物館長の苫米地は、展示準備室を内側から施錠し、オンライン理事会を始めた。カメラを一周させ、室内に誰もいないことを示した後、背後の大型屏風の前へ座った。会議の終盤、屏風がわずかに開き、苫米地は背後から刺された。警備員が開けた時には犯人は消え、窓も資料搬入口も封印されたままだった。

容疑者は展示設計の雲林院、学芸員の四十万、運送主任の甕。雲林院と四十万は映像参加し、甕は倉庫から音声だけで加わっていた。苫米地が贋作搬入を公表すれば、三人とも処分を受ける。屏風は中空の防音材でできた四枚折りだが、人が入れる構造ではないと甕は言った。

屏風は翌日の特別展で中央に置かれる目玉作品だった。雲林院は意匠を、四十万は由来を、甕は搬送の安全性を担当している。苫米地は理事会で、贋作なら展示を中止すると宣言した。カメラを回した時、参加者の視線は屏風の表面画へ集まり、その重量や内部を考える者はいなかった。

私は屏風を開かず、運搬記録を見た。手掛かりは三つだけだった。

第一に、搬入時百二十キロだった屏風は、会議直前の床秤で百七十四キロを示していた。

第二に、一枚目と二枚目の間だけ内側の通気孔が曇り、乾いた部屋なのに水滴が付いていた。

第三に、屏風の中空材を工具なしで外せる留め具へ交換した作業票には、甕の署名があった。

四十万が留め具を押すと、表面板が扉のように外れた。内部には人一人が膝を抱えて収まる空洞と、捨てられた無線イヤホンがあった。

「増えた五十四キロは甕自身です」私は言った。彼は会議前に屏風へ潜り、カメラが室内を一周しても展示物の一部として見過ごさせた。苫米地を襲い、接続断後に中から出て、扉を閉めて退出した。重量差が隠れた人間を、曇りが呼吸を、作業票が出入口を作った者を示す。密室に隠し通路はない。ただ、全員が最初から見ていた屏風の厚みが、一人分だけ深かった。 誰もいない証明は、展示物の中まで量った証明ではなかった。 隠れ場所を探す視線は、作品そのものを容疑から外していた。