年金は明日から
弓削一星は通勤のたび、各駅停車を寿命九分で買う。父の秀臣は「若いうちの九分は高いぞ」と言いながら、自分も住宅ローンを二十五年分の寿命で返していた。
その父が六十五歳になる日、一星は実家で祝いの鍋を作った。
秀臣の手首には《残り六時間》と表示されている。
家を守るために二十五年。母の治療に八年。一星の大学費用に四年。売った時間を足せば、父は本来九十歳まで生きる計算だった。
年金は、売買後の残り寿命ではなく戸籍上の年齢が六十五歳へ達した翌日から支給される。それが唯一の規則だった。
午後六時、承認通知が届く。
《老齢年金の受給資格を確認しました》
《支給開始:明日午前零時》
《月額:十八万四千円》
秀臣は声を上げて笑った。
「あと六時間なのに、月十八万だってよ」
「寿命、買い戻す」
一星は貯金を開いた。六時間なら買える。だが六十五歳の高齢者へ適合する寿命は高く、見積りは二百万円だった。
「いらん」
「年金が入れば返せる」
「最初の振込は二か月後だ」
一星はローンを申請する。
《返済期間中の生存を見込めません》
父を保証人から外し、自分名義で借りようとした。用途欄に《寿命購入》と入れる。
《年金受給予定者への延命融資は、給付費増大の恐れがあるため対象外です》
残り三時間。
秀臣は鍋をよそい、一星の器へ肉を多く入れた。
「お前の大学、楽しかったか」
「何で今聞く」
「四年売ったから、四年分くらい聞いていいだろ」
一星は、講義をさぼった日や、就職せずバンドを続けようとしたことを話した。秀臣は全部笑った。
午後十一時五十九分。
残り一分。
年金アプリのカウントダウンも一分。
「間に合え」
一星は意味もなく言った。
秀臣は目を閉じる。
午前零時。
《年金受給を開始しました》
同時に、父の残量がゼロになる。
翌朝、死亡手続きをすると、年金は《支給前死亡》として停止された。
受給実績には一日と記録される。支給額はゼロ。
一星の端末へ、遺族向けアンケートが届いた。
《老後の安心を実感できましたか》
鍋には、父が取り分けた肉が一切れ残っていた。
一星は通勤経路を徒歩へ変更した。
父が高いと言った九分を、もう売らないためだった。