延長しない部屋
退室時刻まで、あと十分だった。
啓太郎と莉緒は、駅前の古いカラオケ店で向かい合っていた。大学時代に組んでいた二人組が解散してから、五年ぶりの再会だった。部屋のモニターには、二人で作った最後の曲が予約されたまま流れずにいる。テーブルには二本のマイクが並ぶ。青いテープを巻いた一本は、莉緒が使うと決めていたものだった。
「歌わないの」
「今日は返しに来ただけ」
莉緒は、借りたままだった歌詞ノートをテーブルへ置いた。表紙の角は擦れ、間に当時のライブ切符が挟まっている。
啓太郎が伴奏アプリを開くと、機種変更で消えたと思っていた下書きメッセージが復元された。
〈デビューの話、断った。君と二人で続けたい。明日のライブで返事を聞かせて〉
宛先は莉緒。作成日は、解散ライブの前夜だった。
「断ってたの?」
「送ったつもりだった」
「私は、あなた一人で東京へ行くって聞いた」
「誰から」
「事務所の人。あなたはもう了承したって」
「断ったあと、連絡先を変えられた」
二人とも、相手が選んだ別れだと信じるには十分な断片だけを渡されていた。
「事務所にはそう言われた。でも断った」
「じゃあ、どうしてライブで何も言わなかったの」
「君が先に解散を発表したから」
莉緒はノートを見下ろした。あの日、彼女は一人で残される前に、自分から終わらせた。啓太郎は拒絶されたと思い、その場で曲を歌わず帰った。
画面に延長確認が出る。残り六分。
「これが届いてたら」と莉緒が言う。
「続けた?」
「少なくとも、最後の曲は歌った」
啓太郎は予約済みの曲を再生した。イントロが流れ、画面に歌詞が出る。二人ともマイクを取らない。五年前に重ねるはずだった声の場所だけが、伴奏の中で空いている。
「今、歌う?」
「明日、結婚するの」
莉緒は挟まっていた切符を抜き、半分に折った。招待状を送れなかった代わりに、今日だけ会いに来たのだという。
曲はサビへ進む。啓太郎は下書きを送信しようとしたが、莉緒が首を振った。
「今の私には、歌えない」
啓太郎はメッセージを削除し、曲も停止した。部屋が急に静かになる。
退室五分前の電話が鳴った。啓太郎は受話器を取り、「延長しません」と答えた。