影を別の道へ帰す灯
街灯がすべて消えたあと、灯具店〈遠回り〉は一つだけ窓を明るくする。
深夜、酒場の給仕ファナが店へ駆け込んだ。本人より先に、細長い影が床を滑り込む。
「この影に、帰り道を盗まれています」
前の雇い主が彼女を連れ戻すため、追跡術を影へ仕込んだ。夜道を歩くたび影が居場所を知らせ、裏通りを選んでも待ち伏せされる。役所へ訴えるには証拠がなく、今の酒場まで知られれば、また仕事を失う。三晩、物置や橋の下で朝を待っていた。
店主グラウは、取っ手のない小さな角灯を台へ置いた。
「〈別れ道灯〉。持ち主の影を消さず、帰り道だけ二つに分けます。追跡する影には、あなたが選ばなかった道を歩かせる」
「私はどちらを歩けば?」
「灯りのないほうです」
火を入れると、角灯は周囲を照らさなかった。代わりにファナの足元から影が二本伸びる。一つは店の戸口へ、一つは裏口へ。
彼女が裏口へ踏み出すと、本物の足元から影が消えた。細長い偽影だけが戸口を抜け、大通りを北へ走っていく。床に残る追跡紋も、迷わず偽影を追った。
グラウは試しに、追跡紋とつながった糸を引く。糸は北を指したまま。ファナがすぐ隣にいても反応しない。
「これなら、今の店へ帰れる」
その言葉に、彼女自身が少し驚いた顔をした。逃げ場所ではなく、今の職場を帰る場所と呼んだのは初めてらしい。
代金は銀貨九枚。財布には八枚しかない。ファナは髪から、前の店の紋章入り留め具を外した。
「銀貨一枚分にはなる」
「それを受け取れば、私まで前の店と縁を持つ」
グラウは留め具を炉へ投げた。紋章が溶け、追跡糸も音なく切れる。
「不足分は、次の夜に」
「必ず払う。次は逃げながらじゃなく、正面から来る」
翌晩、ファナは銀貨一枚と、次の月の点検料を置いた。偽影は昨夜ずっと北門の外を走り、追手を空の街道へ導いたという。
彼女が自分の影と並んで帰ったあと、グラウが炉の火を落とす。暗くなった店で、入口のベルだけが新しい客の輪郭を告げた。