待合室の十五分
動物病院の受付に入って十日目、有馬紗季は、猫のキャリーを抱えた男性から初めて怒鳴られた。
「予約して十五分前に来たのに、後から来た犬が三頭も先です。うちの猫は客じゃないんですか」
予約時刻から四十分が過ぎていた。キャリーの中では老猫が身を縮め、毛布の下で低く鳴いている。男性は何度か受付を見たが、紗季は電話対応に追われ、「少々お待ちください」としか返せていなかった。待合表示には受付番号しか出ず、診察順が変わる理由は示されていない。
紗季は、待たせたことだけでなく説明しなかったことを謝罪し、診療画面を確認した。後から来た犬たちは、交通事故、呼吸困難、誤食。緊急度の高い順に診るトリアージだった。ただし他の飼い主の病状を明かすことはできない。
先輩は「急患が入ったのでお待ちください、で十分」と言った。
しかし男性は、「何分待つかも分からないなら帰る」とキャリーを持ち上げた。猫は腎臓病で、今日は点滴の予定だった。
紗季は診察室へ走り、獣医師に猫の状態を再確認してもらった。予約だから安全とも、待っているから軽症とも決めつけないためだった。今すぐ生命に関わる所見はないが、興奮させないほうがよい。空いていた処置室を待機場所として使う許可を取り、水とキャリーを覆う大きな布を用意した。
「後から来た方を優遇しているのではなく、命の危険が高い順に診ています。個別の状態はお話しできません。ただ、こちらの猫さんも、待ってよい状態かは確認し直しました。あと十五分を目安に、静かな部屋でお待ちいただけますか」
男性はしばらく黙り、「最初からそう言ってほしかった」と答えた。処置室へ移ると、猫は布の暗がりでようやく鳴きやんだ。
診察後、紗季は受付表示を直した。順番の数字ではなく、〈予約診療中/緊急処置中/再評価待ち〉という状況だけを示し、待ち時間が延びる場合は十五分ごとに声をかける。個人情報を守りながら、放置されていないと伝えるためだった。
終業直前、電話が鳴った。犬が急に立てなくなったという。
先輩が受話器へ手を伸ばすより先に、紗季は新しい聞き取り票を開いた。
「私が受けます。まず、呼吸と意識から確認します」