戻ってくる一口

母が亡くなってから、父は娘の弁当を作った。

卵焼きは焦げ、野菜は大きく、蓋を開けると茶色ばかりだった。

娘は毎日「おいしかった」と言い、空の弁当箱を返した。

祖母から受け継いだアルミの弁当箱には、一つだけ妙なところがあった。

食べた人が誰かと分けたかった一口を残すと、その一口が夕食時、作った人の皿へ戻ってくる。

最初に戻ったのは、焦げた卵焼きの端だった。

父は夕食の皿に突然現れた物を見て驚いた。

娘は「食べきれなかっただけ」と言う。

けれど翌日は唐揚げが一つ、次は苺の半分が戻った。

父は、娘が嫌いな物を残していると思った。

卵焼きを作り直し、唐揚げの味を変え、苺を小さく切った。

それでも一口は戻る。

ある日、父は弁当を作れず、コンビニのパンを持たせた。

夕食の皿には何も戻らなかった。

娘はいつも通り「おいしかった」と言ったが、父には分かった。

戻ってくる一口は、嫌いだからではない。

娘が父にも食べさせたいと思った物だった。

翌朝、父は卵焼きを二切れ多く作った。

一切れは自分で食べ、もう一切れを弁当へ入れた。

「今日のは焦げてない」

「自信あるんだ」

「一口返さなくていいぞ」

娘は箸を止めた。

父は弁当箱のことを話した。

娘はしばらく黙り、

「お父さん、朝は味見だけで何も食べないから」

と言った。

父は娘が自分を気遣っていることに気づかなかった。

娘もまた、母がいなくなってから、父が台所で一人だけ先に朝を始めるのが心配だった。

それから二人は、朝食を一緒に食べるようになった。

時間がない日は立ったままでも、卵焼きを半分ずつ口へ入れた。

弁当箱から一口が戻る回数は減った。

たまに戻るのは、娘が友達にもらったお菓子や、校外学習で買った小さな団子だった。

父は夕食の皿に現れるたび、娘の一日を少し分けてもらった気がした。

高校卒業の日、娘は最後の弁当を空にして帰った。

夕食にも何も現れなかった。

「全部食べた?」

「うん。今日は自分で全部持っていたかった」

進学で家を出る朝、娘はアルミの弁当箱を置いていった。

父が一人で作る昼食に使うためだという。

最初の日、父は卵焼きを一口残した。

夕食時、遠い町の娘から写真が届いた。

皿の上に、焦げた卵焼きが一切れ載っていた。

二人は同時に、

「おいしかった」

とメッセージを送った。