抜けない沼矢
ジェル・マトゥは、肩に矢を刺したまま敵の舟へ拾われた。
矢は沼葦の中空軸で、内部に細く巻いた樹皮紙がある。鏃には返しを二つ付け、肩甲骨の脇へ浅く打ち込んだ。抜けば血が噴くよう、魚油へ赤い染料まで混ぜてある。
密書は自分の身体へ刺して運ぶ。それがジェルの一つだけの策だった。
敵の舟将トゥバ・ンゴが傷を覗いた。
「どこで射られた」
「西の葦原」
「味方の矢だな」
「逃げる背は、どちらからでも敵に見える」
トゥバは矢軸を掴んだ。ジェルは本気で叫んだ。芝居ではない。返しが肉を引き、目の前が白くなった。
「抜けば死にます」と舟医が言う。「沼毒なら、ここで抜いても死にます」
「では折れ」
舟将が命じた。
軸を折られれば密書も潰れる。ジェルは痙攣するふりで舟底を転がり、肩を欄干へ打ちつけた。矢がさらに食い込み、血が流れる。
「触るな。こいつは砦の治療小屋へ運べ。死ぬまで吐かせる」
それも狙いだった。治療小屋のアサ・ケレは、敵に仕える唯一の味方だった。
夜、アサは護衛の前で傷を嗅いだ。
「腐り始めている。切開する。臭いが嫌なら外へ」
護衛は鼻を覆って出た。アサは矢尻の脇を切り、返しごと軸を抜く。赤い染料ではなく本物の血が椀へ溜まった。
中空軸を割ると、濡れた樹皮紙が出た。
〈月没、西葦を焼く。煙に紛れ、沼門より舟二十〉
「血で読めない」
アサが言う。
ジェルは震える指で紙を灯りへ透かした。
「最後は二十だ。書いた男は、数を大きく書く癖がある」
「戻れるか」
「矢だけは戻った」
アサは傷へ焼き鏝を当てた。肉の焦げる匂いで、護衛はさらに離れた。
焼き鏝を外すと、ジェルは自分の指が動くか確かめた。肩はもう上がらない。舟を漕ぐ腕を一つ失ったことになる。アサが謝ると、彼は首を振った。間者が運ぶ密書は紙だけではない。敵陣を抜けた身体そのものが、次の者へ渡す道になる。
護衛が焦げた匂いに耐えきれず、井戸へ水を汲みに出た。アサはその足音が角を曲がるまで待った。
西の葦原に火が走る。黒煙が水面を覆い、敵の見張り台が消えた。
アサが治療小屋の床板を踏み鳴らす。
「沼門を上げろ」
水中の木格子が、泡を吐いて持ち上がった。