文化祭の赤字
小早川稔は、同窓会の会計を締めたあと、古いノートをテーブルへ置いた。
表紙には〈二〇一〇年度文化祭実行委員会〉。最後のページだけが破られ、収支の合計は三万二千円の赤字になっていた。
「まだ持ってたの?」と羽田野桃子。
朝倉理人はビールを置いた。「今さら精算する気か」
高校三年の文化祭で、三人は模擬店の売上を管理した。閉会後、現金が合わず、顧問は「計算違いだろう」と処理した。稔だけが自分の貯金から不足分を入れたことを、桃子も理人も知っていた。
「返してほしいわけじゃない」と稔。「俺が抜いたんだ」
二人は黙った。
稔は、業者への支払いを一日遅らせて、その金で壊れた照明を買った。文化祭を中止にしたくなかった。あとで戻すつもりだったが、売上は予想より少なかった。
「なんで今言うの」と桃子。彼女の声は、さっきまで同窓会で客を笑わせていたときより低かった。
「四月から監査法人を辞める。公益団体の会計を調べる仕事に移る。人の数字を追う前に、自分の穴を埋めたかった」
桃子は駅前で十年続けたバーを閉め、キッチンカーで各地を回るという。理人は市役所の文化振興課に残り、来年度から高校の文化祭補助制度を担当する。
「三人とも、あの赤字から逃げてないみたいで嫌だね」と桃子が言った。
理人はノートを開き、破られた跡を指でなぞった。「俺がページを破った。先生に見つからないように」
桃子も財布から三万円を出した。「私は知ってて黙った。だから、三等分にしよう」
稔は受け取らなかった。代わりに、同窓会の残金が入った封筒へ三人で同額を足し、母校の文化祭へ寄付することにした。
「これで黒字?」と桃子。
「帳簿上は」と稔。
店を出る前、理人がノートの空白へ今日の日付を書いた。三人はそれぞれ署名し、その下に次の勤務先を記した。行き先はばらばらで、合計欄は空白のままだった。
ノートは会場の忘れ物箱に残された。破られた一枚は戻らず、赤字も消えない。それでも封筒だけは、翌朝、学校の事務室へ届いた。