旗裏の借用証
マティアス・グレドは、軍旗の裏に書かれた数字を守っていた。
表は赤い牡牛。裏には傭兵二百四十人の名と、未払いの銀貨が炭で記され、会計官の印が押してある。帳簿は燃えた。今や旗だけが借用証だった。雨に濡れるたび数字は薄れ、兵たちは交代で炭をなぞった。旗を守る当番は、自分の名が消えていないか確かめる当番でもあった。
城主は出撃前、旗を焼けと命じた。
「敵に奪われれば恥だ」
「焼けば給金が消えます」
「勝てば払う」
「三度勝ちました」
城主の護衛が剣へ手をかける。マティアスは旗竿を離さなかった。足軽が旗を守る理由は忠義だけではない。腹の中に入る物は、たいてい忠義より銀に近い。
門外には敵の傭兵隊がいる。同じ商会から雇われた連中で、こちらより二月分多く受け取っているという。敵隊長は一騎で堀端へ来た。
「牡牛旗を渡せば、全員を雇い直す。未払いも払う」
城主が城壁から怒鳴る。
「耳を貸すな。旗を表へ向けろ」
マティアスは逆に裏を門外へ向けた。名と数字が朝日に並ぶ。
敵隊長の顔が変わった。
「その印は、こちらの支払証にもある」
会計官は両軍へ同じ銀箱を担保にしていた。一方が勝てば敗者の給金は消え、残った銀で勝者を払うつもりだったのだ。
マティアスは敵隊長へ叫んだ。
「おまえたちの旗裏を見ろ」
敵兵が自分たちの青旗を下ろし、裏返す。遠くて字は読めない。だが同じ位置に黒い印がある。
城主が護衛へ命じた。
「旗持ちを斬れ」
護衛が近づく。マティアスの仲間たちはまだ槍を動かさない。未払いの額は人によって違う。旗を失えば、隣の男より自分がどれだけ安く死んだかさえ証明できない。
マティアスは旗竿を石床へ打ちつけた。
「表の牡牛は城主の物だ。裏の借金は俺たちの物だ。どちらを守る」
最初に槍を横へしたのは、最も少額の男だった。次に全員が続く。門外でも青旗が裏返り、敵傭兵が武器を伏せた。
二つの軍が、同じ雇い主へ背を向ける。
マティアスは城主を見た。
「銀箱を開けてもらおう」
敵隊長が剣を掲げた。
「両軍、門前へ進め」
内側から、城門の閂が外れた。