最終バスを見送る
最終バスが出る時刻を、彼女は知っていた。
それなのに、部室の片づけをゆっくり続けた。
「間に合わないよ」
私が言うと、彼女は古いボールを磨きながら答えた。
「次がある」
「田舎の時刻表なめないで。次は明日の朝」
彼女はようやく時計を見て、走り出した。
校門を出たとき、バスは交差点の向こうへ消えた。
「最悪」
そう言いながら、彼女は少し笑っていた。
卒業まであと三日。いつもの帰り道を一緒に歩ける回数も、もう片手で足りた。
彼女は春から遠い町へ行く。私は一学年下で、来年も同じ部室へ通う。
バス停のベンチへ座ると、学校が夕日に染まっていた。窓がオレンジ色に光り、校舎の影が道路まで伸びている。
「迎え呼ぶ?」
「家、忙しいから無理」
「歩くと一時間」
「ちょうどいい」
彼女は最初から、乗り遅れるつもりだったのだ。
「言えば残ったのに」
「言ったら、送別会みたいになる」
「もう送別会したよ」
「二人のはまだ」
胸の奥が熱くなった。
私たちは歩き始めた。
部活の失敗、初めて勝った試合、私が辞めたいと言った日。いつも話していたことを、初めて話すように繰り返した。
影が長くなり、二人の足元から前へ伸びる。
「来年、主将やる?」
彼女が聞いた。
「たぶん」
「向いてないね」
「先輩に言われたくない」
「だから任せたい」
歩くうち、空はオレンジから紫へ変わった。
「最後に一つだけ」
彼女が言った。
私は告白を期待した。
けれど渡されたのは、部室の予備鍵だった。
「顧問に返して」
「自分で返せばいいのに」
「返すと、本当に終わるから」
私は鍵を受け取った。
告白より重かった。
家の近くで別れるとき、彼女が振り返った。
「バス、逃したの気づいてた?」
「片づけ遅すぎたから」
「止めなかったね」
「私も歩きたかった」
彼女は満足そうに笑った。
卒業式の日、私は鍵を顧問へ返した。
そのあと、部室の新しい予備鍵を受け取った。
古い鍵と形は同じだった。
でも、手の中の重さはもう、終わりではなく次の一年分だった。