柿の葉をひらく
母の再婚相手に会う約束の日、仁科真帆は高速バスの待合所で柿の葉ずしの包みを開いた。母が朝、黙って鞄へ入れたものだ。
父が亡くなって六年、母は初めて交際相手を家へ連れてくる。真帆は二十七歳で、もう実家を出ている。それでも、知らない人が父の椅子へ座り、母と同じ台所を使うところを想像すると、帰る場所を取り上げられるようで苦しかった。
母の幸せを願えない娘だと思われるのが嫌で、反対とは言えない。歓迎するふりをする自信もなく、会う直前になってバス停まで逃げてきた。
柿の葉を一枚ひらく。青い葉の香りがし、包まれたすし飯は外気で冷たかった。母は昔、葉を途中で破る真帆を叱り、端から丁寧にひらけばまた包めると教えた。
真帆は一つ目の葉を破かずに広げ、鯖ずしを食べた。締まった米が歯にほどける。空いた葉を元の形へ戻そうとすると、折り目が合わず、隙間ができた。
二つ目は、あえて大きくひらいた。葉は平らになり、もう元の包みには戻らない。家も同じかもしれない。新しい人が入れば、父がいたころと同じ形には戻らない。けれど、変わることと、真帆の席が消えることは別だった。
三つ目を半分食べ、残りを葉の中央へ置く。母に「お腹いっぱいなら持って帰って」と言われた声を思い出した。全部受け入れられなくても、会いに行くことはできる。
真帆は残り半分を包み直した。葉の端はずれたが、すしは落ちなかった。
母へ「今から戻る。今日は一時間だけ」と送る。歓迎も祝福も約束しなかった。自分の席を確かめる時間だけを決めた。
真帆は、父の椅子を誰にも譲りたくないのではなく、そこに父がいたことを忘れられるのが怖かったのだと気づいた。新しい人が座っても、椅子の傷まで消えるわけではない。母の新しい暮らしと、三人だった家の記憶は、別々に残せる。
バスの発車案内を見送り、真帆は実家行きの電車へ向かった。鞄の中で、不格好に包み直した一つが静かに揺れた。