校長代理の卒業訓話
卒業式の十分前、校長が体育倉庫に閉じ込められた。
連絡を受けた教頭は、校長室でマイクを点検していた用務員の杣口稔久を見た。背丈が同じ、頭の薄さも似ている。しかも予備の礼服を着れば、遠目には分からない。
「救出まで三分だけ、壇上に立ってください」
「何を話せば」
「原稿を読み、質問には答えない」
ところが原稿は、校長が倉庫へ持って入っていた。杣口は空の演台へ立つ。生徒会長が小声で促した。
「校長先生、最後のお言葉を」
「私は校長では」
「謙虚さを忘れるな、という導入ですね」
保護者が拍手した。杣口は仕方なく話し始めた。
「三年間、皆さんが落とした傘は百四十七本です」
会場が静まる。
「持ち物を大切にせよ、という教えだ」と教頭が解説した。
「上履きの左右を間違えた者は二十三人。トイレの紙を一度に使いすぎて詰まらせた者は、名を伏せます」
「失敗を責めず、未来へ進めとのお言葉!」
杣口は裏方として見てきたことを、そのまま続けた。
「廊下の傷は、皆さんが走った跡です。窓の手垢は、外を見た跡です。壊れた椅子は直せますが、卒業したあとに座る人は戻りません」
教頭の解説が止まった。生徒たちも黙って聞いている。
「偉い人の言葉より、困っている人の『手伝って』を聞いてください。校長先生の顔を覚えていなくても、掃除をしてくれた友だちの顔は忘れないでください」
舞台袖から、救出された校長が泥だらけで現れた。
「杣口さん、もう大丈夫です」
生徒会長が目を丸くした。
「校長先生が二人?」
「私は用務員です」と杣口。
会場は一瞬静まり、それから今日一番の拍手が起きた。校長は自分の原稿を開き、閉じた。
「私の話は以上です」
「まだ何も話してません」と教頭。
「もう十分でしょう」
退場する卒業生たちは、校長より先に杣口へ頭を下げた。杣口はいつもの作業帽を胸に当て、一人ずつ見送った。
卒業アルバムの最後には、礼服姿の杣口と泥だらけの校長が並んだ写真が載った。
代理の訓話だけが、本番になった。