欠けた真珠の婚礼衣装
欠けた真珠を縫った婚礼衣装で誓ったことは、決して破れない。その代わり、着る者が選んだ既存の絆が一つ切れる。
ベレナは祭壇の前で、母の手を握っていた。
母は娘を貧しい工房から救うため、裕福な織物商との結婚を決めた。相手は三十歳も年上で、結婚後はベレナの友人たちを解雇し、彼女自身には家から出るなと言っている。
「愛はあとから育つものよ」
母は何度もそう言った。父を亡くして二人で生きてきた。母が指を荒らして学費を払い、夜中まで布を織ってくれたことを、ベレナは忘れていない。
熱を出した夜には背負って治療院まで走り、初めて売れた布の代金で赤い靴を買ってくれた。母の愛は確かだった。ただ、その愛はいつからか『苦労させたくない』という紐になり、ベレナの手足を優しく縛った。切りたいのは愛ではない。愛の名で選択を奪われる関係だった。けれど呪いは、そんな都合のよい切り分けを許さない。
だから、断れなかった。
祭司が誓いを促す。
婚礼衣装の真珠が冷たく光った。この服で口にした誓いは、相手へのものとは限らない。代金として切る絆も、自分で選べる。
花婿は満足そうに腕を差し出した。
工房の仲間たちは最後列でうつむいている。ベレナが結婚すれば、明日の朝には仕事を失う。
「私は誓います」
母の手に力が入った。
「自分で選んだ仕事を続け、私を信じて働く人たちを、決して見捨てないと」
広間がざわめいた。花婿の顔が歪む。
誓いは真珠へ吸い込まれ、鎖のようにベレナの胸へ結ばれた。これで彼女は、工房を捨てられない。
代金を選ぶ番だった。
母との絆を切れば、もう娘として愛されない。けれど花婿との縁は、まだ結ばれていない。切れる既存の絆は、母か、仲間か、自分を支えてきた誰かしかない。
ベレナは母の手を両手で包んだ。
「育ててくれて、ありがとう」
欠けた真珠が一つ、床へ落ちる。
母の指から力が抜けた。次の瞬間、彼女は見知らぬ花嫁に触れていたように手を引いた。
「どなた?」
ベレナは答えず、泣きながら婚礼衣装の裾を踏み、祭壇を降りた。