次の囃子
音楽制作会社の布施川史紀は、忍音郷の「ひそめ囃子」を採録した。二十六歳。笛も太鼓も弱く鳴らし、耳を澄まさなければ旋律が分からない祭りだった。
採録した旋律は毎年一音だけ長くなり、その年に村を出た人の声が増えると資料にあった。史紀は重ね録りによる錯覚だと考え、音源を分離して証明するつもりだった。村境の石碑には過去の演者名が刻まれていたが、最後の空欄は彼の名前が入る幅に削られていた。
録音許可書には、持ち出しに関する禁忌が一つある。
《村境を出た後、囃子を口ずさんではいけない》
祭りの旋律は耳を離すとすぐ忘れるのに、奥歯を噛むと骨の中から聞こえた。バスの窓へ映る史紀だけが、本人より一小節早く唇を動かしていた。
史紀は録音を終え、最終バスに乗った。データは雑音ばかりで、旋律を思い出せない。編集の手掛かりにしようと、村境の看板を過ぎたところで一度だけ、四小節を小さく鼻歌にした。
車内の乗客が全員、同じ旋律の続きを歌い始めた。運転手まで口を動かしているのに、音は史紀のスマホからしか聞こえない。録音アプリの波形には、乗客の数より一人多い声が重なっていた。
町へ戻ると現象は止んだ。史紀は疲労だと思い、採録データを会社のサーバーへ送った。
会社の音源管理表では、史紀の採録データが『本人未到着のため仮保存』に分類されていた。削除権限も失われていた。
翌日、音楽認識アプリから通知が来た。昨夜の鼻歌を自動検出したらしい。
《曲が見つかりました》
《題名:次の囃子》
《演者:布施川史紀》
《発売日:明日》
ジャケット画像は来年の祭りの告知板だった。中央に史紀の顔写真があり、その下に「遺音源による奉納」と印刷されている。
再生回数はすでに村の人口と同じ数。コメント欄には、全員同じ文章が並んでいた。
《続きを忘れないでください》
史紀がアプリを閉じても、イヤホンから囃子が始まった。音量をゼロにしても止まらない。四小節目の後、村中の声が彼の名を呼ぶ。
音楽アプリは、ごく普通の次曲表示を出した。
《次に再生:布施川史紀》
その下でマイク使用中の橙色の点が灯り、史紀の呼吸を伴奏として録り始めた。