歌声を乾かしてください
新人歌手の叔母兼付き人である露草伽耶は、録音技師から妙な注文を受けた。
「次のテイク、もう少しドライにお願いします」
伽耶は姪の額へ触れた。
「汗はかいていません」
「体じゃなく、声をドライに」
「喉を乾かすんですね」
「いや、そうではなくて」
説明を待たず、伽耶はスタジオの加湿器を止め、除湿機を最大にした。姪へ乾いたクラッカーを渡し、水筒も取り上げる。
歌手は目を白黒させた。
「おばさん、歌う前に水を」
「技師さんが乾かせと」
ブースの向こうで技師が叫んだ。
「水は飲んで! もっと生っぽく、残響なしで歌ってほしいんです」
伽耶はタオルを差し出した。
「生なら水分が多いのでは?」
「その生じゃない!」
伽耶は念のためドライヤーまで持ち込み、マイクへ温風を当てた。スピーカーから低い唸りが響き、技師が飛び上がる。
「機材を乾燥させないで! ノイズが入る!」
「どこまで乾かせば正解なの」
プロデューサーが会話に加わった。
「感情も少し引いて。湿っぽくしないで」
伽耶は姪の失恋歴を思い出した。
「泣くなということですね。では玉ねぎも撤去します」
「なぜ録音室に玉ねぎがあるんです?」
技師が「さっきのテイクはウェットすぎた」と漏らすと、伽耶は今度は床を確認した。
「どこか水漏れしています?」
「音に残響が多いという意味です」
「乾かしたり濡らしたり、先に湿度を決めてください」
乾燥した空気で、姪の声はかすれ始めた。技師は慌てて録音を止めた。
「音響でドライというのは、リバーブなどの効果を加えていない元の音のこと。歌手を干物にする意味じゃありません」
伽耶は機材画面をのぞいた。
「このつまみを下げれば乾く?」
「はい。人間の水分は保ったままで」
加湿器と水筒が戻され、姪はようやく滑らかに歌った。
録音後、技師が言った。
「今のテイク、すごく瑞々しいのに音はドライで最高です」
伽耶は首をかしげた。
「濡れているのか乾いているのか、業界で決めてください」
姪は水を一気に飲み、答えた。
「私は今、びしょびしょに疲れた」