死亡体験、十五分
鷺ノ宮嶺は、毎週金曜日に十五分だけ死んだ。
不死者の間で流行していた違法サービス〈無〉は、脳の活動を完全に停止させ、十五分後に再起動する。夢も時間感覚もない。終わりを失った人々にとって、それは唯一の休息だった。
嶺は最初、好奇心で試した。次は眠れない夜のため。その次からは、金曜日まで生きるために通った。
冬夏とは百七十年暮らしていた。喧嘩も仲直りも一通り終え、最近は互いの在宅表示だけで安否を知った。嶺は関係が壊れているとは思わなかった。壊れるほど強く触れ合っていないことに、気づいていなかった。
同居人の冬夏は、嶺がどこへ行くか知らなかった。嶺は「散歩」と嘘をついた。十五分の空白から戻るたび、夕飯の味は少し濃く感じたが、数時間でまた世界は平坦になった。
ある金曜日、装置が故障した。
嶺が目を開けたのは十八時間後だった。店は閉鎖され、客たちは路地へ放り出されていた。家へ戻ると、冬夏の荷物が消えていた。机に紙の手紙があった。
〈あなたが消えた十八時間、事故か誘拐かと探した。端末の履歴で店を知った。あなたが死ぬ練習をするたび、私は置き去りにされていたんだね。永遠がつらいなら、つらいと言ってほしかった〉
嶺は電話をかけた。応答はなかった。
その晩、金曜日が終わるまで一人で座った。十五分の無は静かだったが、その周囲には、待つ人の十八時間がある。初めてそれを想像した。
翌週、嶺は店へ行かなかった。代わりに公的相談所で「死にたいわけではない。何も感じない時間が欲しい」と話した。相談員は驚かず、同じ訴えの人が増えていると言った。
嶺は〈無〉をやめた。永遠を好きになったわけではない。金曜日は相変わらず長かった。だが、長いと口に出すようになった。
半年後、冬夏から短い連絡が来た。
〈日曜日の昼なら会えます〉
嶺は金曜日から日曜日までを、十五分ずつ消さずに過ごした。待つ時間は苦しかった。
苦しいまま続く時間の中にしか、誰かと会う約束は置けなかった。