死後返還

深町菫子は三十歳で十年を売り、六十歳で返されることになった。

買い手の椚田恭介が、購入した寿命を使う前に事故死したからだ。契約には〈未使用分は三十年後、元の売り手へ返還〉とあった。

若い菫子は、その通知を忘れた。

十年を売った金で小さな書店を開き、結婚し、離婚し、店を畳んだ。自分は六十四歳で死ぬ予測だと思い、五十八歳で仕事を辞め、家具を処分し、友人へ別れの手紙を書いた。

六十歳の誕生日、突然十年が戻った。

予測死亡年齢は七十四歳へ延びた。

菫子は喜べなかった。人生を終える準備が整いすぎていた。家も仕事もなく、疎遠になった人々へ「もう会えません」と書いたばかりだった。

返還通知には、買い手の遺品として一通の手紙が添えられていた。

〈あなたの十年で、娘の成長を見るつもりでした。使えずにすみません〉

恭介は妻を亡くした直後、幼い娘を一人で育てるため十年を買った。その翌月、事故で死んだ。

菫子は腹が立った。謝る相手が違う。自分へ返すより、娘へ渡せばよかったのに。

彼女は買い手の娘を探した。三十二歳になった椚田梨佐は、父の顔もほとんど覚えていなかった。

「十年、受け取りますか」

菫子が尋ねると、梨佐は断った。

「父が買ったのは、私の寿命じゃなくて、私といる自分の時間です。あなたの体に戻ったなら、あなたのものです」

「でも私は、もう使い道がない」

「父も、使い道を決めたから買ったんでしょう。でも決めた通りにはならなかった」

二人は、閉店した菫子の元書店の前で話した。空き店舗には貸し札が出ていた。

その春、菫子はそこを借り直し、子ども向けの読書室を開いた。梨佐は週末だけ手伝った。父親の思い出を探すためではなく、本が好きだったからだ。

菫子は七十四歳まで生きる保証を持たない。それでも新しい本棚を十年もつ木材で注文した。

返された年月は、失った若さの埋め合わせではなかった。

一度閉じた人生に、予定外の続巻が届いたのだ。

菫子は表紙へ自分の名を書き、結末を決めずに開いた。