毒杯の新しい所有者

 三門叶人は、ルールカードの裏へ売買契約を書き、向かいの実業家へ差し出した。

《鐘が鳴った時、毒入りの杯の所有者を敗者とする。もう一方が勝者となる》

「私に命乞いか?」

 実業家が笑う。

 叶人は自分の前の青い杯を指した。

「この杯を一円であなたに売る。代わりに、俺が負けを認めたと証明してくれ」

 実業家は青が毒だと確信していた。入室時、係員が叶人の杯だけ赤い手袋で置いたのを見ている。彼は勝者の余裕を見せるため、契約書へ署名し、一円硬貨を投げた。

 叶人が欲しかったのは金ではない。売買が成立したと機械に認めさせる、対価の痕跡だった。贈与なら撤回を争えるが、一円でも売買なら相手の署名が重くなる。

『所有権移転を認証』

 卓の中央にある書類読取機が告げる。

 実業家の笑顔が止まった。

「杯はお前の前にある!」

「占有者と所有者は違う。あなたなら知っているだろ」

 叶人は青い杯に一度も触れなかった。契約には、引き渡しは鐘の後と書いてある。だから器は彼の前に残っていても、法的な所有者だけは相手へ移っている。

「無効だ。これはゲーム内の物品だぞ」

「規則が『持っている者』ではなく『所有者』と書いた時点で、主催者が法律を持ち込んだ」

 残り十秒。

 実業家は署名を破ろうとしたが、原本はすでに機械へ吸い込まれている。彼は一円を拾い、返そうとした。叶人は受け取らない。

 鐘が鳴った。

 実業家の胸元にある資産認証端末へ、青い杯の番号が転送される。普段なら所有物が増えたと祝う音が、この場では死刑宣告になった。彼自身が持ち込んだ端末だから、認証を否定することもできない。

 青い杯の底が赤く光る。

『毒を検出。所有者、葛巻征士』

『勝者、三門叶人』

 実業家の首輪が閉まる。

「主催者は、財産を奪ってきた人間に所有の重さを味わわせたかったんだろう」

 叶人は一円を床から拾った。「でも所有権は、奪うだけじゃない。引き受けさせることもできる」

 扉が開く。

 叶人は硬貨を毒杯の中へ落とした。

 ちいさな音が、契約成立の判子のように響いた。