毒杯より重い第九条

 晩餐会で、ファルディン侯爵令息が一口の葡萄酒を飲み、苦しげに膝をついた。

 医師が駆け寄る前に、彼はディアメラ・ソレグノを指した。

「婚約者である私を毒殺しようとした。嫉妬深い悪女との婚約を破棄する」

 彼の杯を選んだのはディアメラだ、と給仕役まで思い込んでいた。客たちは生きている被害者の言葉を、何より確かな証拠として受け入れる。

 実際にはファルディンが『君の選んだ酒だけを飲みたい』と言い、彼女に瓶を指させた。杯は彼自身が受け取り、誰にも触れさせなかった。甘い演出だと思った自分が、ディアメラには腹立たしい。

 婚約してから彼は何度も愛を試した。真夜中に呼び出し、友人を捨てろと言い、断るたび冷たい女だと責めた。だが今夜の試験は、彼女の命を刑台へ載せている。心配するふりで赦せる境界を、ついに越えた。

 ディアメラは青ざめたが、泣かなかった。

「婚約安全契約の第九条を発動します」

 宮廷医ユーリックが、彼女に代わって叫ぶことなく契約原本を開いた。第九条――毒の告発がなされた場合、杯へ最後に薬物を入れた者の名を契約書へ記す。

 赤い染みのような文字が浮かんだ。

『投入者、ファルディン』

 さらに条文は、毒が眠り草と苦味剤だけで致死性を持たないことを示した。倒れる時刻まで計算し、彼は被害者の役を作っていた。

 解毒薬も彼の袖にあると、同じ第九条の記録が告げていた。

 倒れていた本人が、ゆっくり顔を上げた。

「致死量ではない。君が私を心配するか試しただけだ」

「そして心配した相手を、殺人未遂で処刑するおつもりでしたのね」

 ファルディンは立ち上がり、試練は終わった、婚約破棄を撤回するから看病しろ、と手を伸ばす。

 ディアメラは一歩退いた。

「試されたのは、わたくしの愛ではありません。あなたの良心です。結果はもう出ました」

 指輪を毒杯の脇へ置き、元婚約者に背を向ける。ユーリックが診療室ではなく出口へ手を差し出した。ディアメラは看病人に戻らず、その手を取った。