毒杯を選ばない暗殺科

「二つの杯のうち、毒の入っていない方を飲め」

 影塔学院・暗殺科の入学試験。黒い卓上に、金杯と陶杯が一つずつ置かれている。試験官ナディル――ではない。受験生がナディルで、試験官は仮面の女だ。

 前の人生、彼は銀針を使い、金杯だけが黒く変わるのを確認した。だから陶杯を飲んだ。だが倒れた。毒は両方に入り、銀針へ反応しない方が致死性だった。試験ではなく、彼の一族を消す依頼だったと知ったのは、死の直前に仮面の女が報酬袋を数えたからだ。

 次に目を開けると、杯はまた二つ。

「選べ。時間は一分」

 仮面の女が前と同じ言葉を言う。

 ナディルは前と同じ銀針を取り、金杯へ浸した。針が黒くなる。観覧席の教師たちが頷く。

「では陶杯だな?」

 前のナディルは「そうだ」と飲んだ。

 今度は銀針を卓へ置く。

「どちらも選ばない」

「臆病者は不合格だ」

「問題は『毒の入っていない方を飲め』。両方に毒があるなら、正答は飲まないことです」

 仮面の奥で目が揺れた。

「証拠は?」

「杯の下です」

 ナディルは卓をわずかに回した。金杯と陶杯の底に、同じ紫の輪染みがある。液体を注ぐ前に、猛毒《無音草》を縁へ塗った痕だ。未来で自分の唇が痺れた感覚を、忘れたことはない。

「さらに、銀針は判定具ではなく誘導具。金杯の毒だけに反応するよう細工されている」

 彼は針を仮面の女の報酬袋へ刺した。袋の金貨が黒く変わる。依頼主の家紋が浮かび上がった。

 観覧席の長老が、杖を鳴らして立つ。

「入学試験に私闘を持ち込んだな」

 仮面の女が短刀を抜くより早く、床から影の鎖が伸びた。前の人生でナディルの喉を締めた術が、今回は彼女を拘束する。

 長老は二つの杯を床へ捨てた。石が音もなく溶ける。

「正答だ。暗殺者に最も必要なのは毒への耐性ではない」

「依頼そのものを疑うこと」

 ナディルが答えると、入学証の黒紙に白い文字が浮かんだ。

【首席合格】

 仮面の女は初めて、前とは違う言葉を吐いた。

「どうして、生きている……」