水飲み場の蛇口
羽鳥奈津は、小さなモンキーレンチを散歩バッグへ入れた。朝、公園の水飲み場で蛇口が閉まり切らず、一秒ごとに水が落ちていた。管理事務所へ電話すると、修理は明日になると言われた。
明日では遅い、と奈津は思った。ピノが外を歩けるのは今夜が最後だからだ。
十六歳のピノは、公園へ行くと必ず水飲み場の下で休む。午後の診察で、肺に水がたまり始めていることが分かった。獣医は静かに過ごすよう言ったが、ピノは玄関でリードを見つめた。
奈津は公園まで最短の道を選んだ。ピノは途中で二度座り、そのたびにレンチの重さがバッグの底で位置を変えた。抱こうとすると立ち上がるので、奈津はただ待った。
水飲み場には誰もいなかった。蛇口から、朝と同じ間隔で滴が落ちている。下のコンクリートには小さな丸い染みができていた。ピノはその横へ伏せ、舌を一度だけ出した。
奈津は蛇口の根元へレンチをかけた。右へ回す。固い。もう一度力を入れると、金属がきしみ、滴の間隔が長くなった。
ピノが顔を上げたので、奈津は手のひらに水を受けた。蛇口を少し開き、ほんの一口だけ飲ませる。冷たい水は半分以上、指の間から落ちた。
再び閉め、レンチをかける。締めすぎれば壊れる。足りなければまた漏れる。奈津は一滴落ちるまで数えた。十秒。二十秒。ピノの呼吸と数字が重なりそうになり、途中で数えるのをやめた。
蛇口の先に膨らんだ水滴を、指で拭う。もう新しい丸はできなかった。
金属の表面には、何匹もの犬が鼻を寄せた曇りが残っていた。奈津は自分の袖でそこを磨きかけ、やめる。ピノが立ち上がろうと前脚を滑らせたので、胸の下へ手を入れた。水は止められても、帰り道まで急がせることはできない。
ベンチの下には朝の水でできた細い流れが残っていた。奈津は靴先で砂を寄せ、通路へ広がらないよう溝を一つ作った。
奈津はレンチをバッグへ戻し、濡れた手をピノの背で拭かないよう、ハンカチを取り出した。水飲み場の下の染みは、そこで広がるのをやめた。