氷がほどける音

 七緒はカップの氷が溶ける音を聞いていた。

 深夜のコンビニのイートインは、椅子が四脚だけ使えるようになっている。窓側に一人で座り、アイスコーヒーへ口をつけないまま、透明なカップを両手で包んだ。

 氷が少し動く。

 から。

 店内の空調が回る。

 低い風。

 コーヒーマシンが自動洗浄を始める。

 ごぼ、ごぼ。

 七緒のスマートフォンには、送らなかった文章が残っていた。

「元気?」

 たった三文字を、引っ越した友人へ送れずにいる。元気だと返ってきても、そうでないと返ってきても、その先を続ける自信がなかった。

 連絡しないまま半年が過ぎた。寂しいという言葉は、時間がたつほど相手を責める形に見えた。

 店員がカウンターの内側でコーヒー豆を補充する。袋から豆が落ち、乾いた音が続いた。

 イートインの隣の席には、丸い水滴の跡が一つ残っている。少し前まで誰かがいたらしい。椅子はテーブルから斜めに引かれたまま、窓へ向いている。

 七緒はその席を直さなかった。

 誰が座っていたのか想像もしなかった。ただ、カップの底が作った輪だけを見た。水滴は少しずつ乾き、円の端から薄くなる。

 氷がまた動く。

 からん。

 さっきより低い音だった。

 自動ドアが開き、新聞配達らしい人が入ってきた。店員と短く会釈し、温かいお茶を一本買う。七緒とは視線を合わせず、すぐ出ていく。

 店内には再び機械音だけが残った。

 七緒はスマートフォンの文章を消さなかった。送信もしなかった。画面を伏せ、ようやくコーヒーを一口飲む。氷が溶けたぶん、少し薄い。

 隣の席の水滴は、もうほとんど見えない。

 けれど椅子の角度だけは残っている。

 誰かがここで夜の途中をやり過ごし、立ち上がっていった。その痕跡は慰めではなく、ただ静かな順番のようだった。

 七緒もカップを持って立つ。

 友人へ連絡するのは明日でもいい。しなくてもいい。今夜その答えを出さなくても、朝は来る。

 氷の最後の一つが、歩く振動で小さく鳴った。七緒はその音を連れて、一人の部屋へ帰った。