潮壁が消えた朝
海塞都市の潮壁は、千年の大波にも耐えた。
海賊提督オルドンは、それを一撃で消せると豪語した。奪った海神砲を旗艦へ据え、満潮の海そのものを槌に変えて壁へぶつける。
潮壁の上には、灯台守サフィラが一人残っていた。
避難船が暗礁を越えるまで、灯を消せない。彼女は両手で灯籠の支柱を抱え、沖の船へ光を向けている。
「女一人ごとき、波の染みにも残らん」
オルドンが砲を撃った。
海が垂直に立ち上がり、潮壁へ落ちる。石積みは根元から裂け、灯台の半分とともに海中へ崩れた。水煙が朝日を隠し、旗艦の甲板まで塩の雨が降る。
海賊たちは歓声を上げた。
だが提督は、望遠鏡を下ろせなかった。
水煙の中心で、灯がまだ同じ高さにある。
波に流されたなら揺れる。沈んだなら消える。なのに光は崩落前と同じ角度で、避難船の進路だけを照らしていた。
風が水煙を払う。
サフィラは同じ姿勢で立っていた。両手で支柱を抱え、右足を一歩前へ。潮壁は彼女の周囲だけ円柱状に残り、落ちた巨石は足元で白い砂になっていた。
古参海賊が望遠鏡を奪い、幼い頃にも同じ灯台守を見たと呟いた。三十年前の嵐でも、五十年前の大津波でも、サフィラは同じ姿で灯を守っていたという。部下たちは提督の海神砲より先に、海塞都市がなぜ千年間沈まなかったのかを理解し始めた。
避難船から感謝の灯が一つ、二つと返る。サフィラは波の中心にいながら、それを数える余裕さえ残していた。
「海神の加護か」
オルドンは歯を鳴らす。
「海神砲を盗んだあなたが、それを言いますか」
旗艦まで届いた声に、甲板が静まる。
提督は砲の封印を破り、黒潮を呼んだ。二撃目は艦隊ごと巻き込む禁じられた出力。空が暗くなり、山のような波が灯台へ覆いかぶさる。
轟音。水煙。
それが晴れたときも、サフィラは支柱を抱いたまま、避難船へ灯を向けていた。彼女の背後で最後の船が暗礁を抜ける。
オルドンは、海を従えた自分より、海の中で動かない女のほうが強いと理解した。
海賊提督は旗艦の甲板で一歩退いた。