無人駅の発声練習

終電後の無人駅で、失踪した歌い手の発声練習が始まった。

駅員の枯野早雪は、ホーム放送の異常を確認しに降りた。スピーカーから「あ、え、い」と単音が流れ、電光掲示板には存在しない列車の時刻が点滅している。声は、駅前で路上ライブをしていた歌い手・祈野ミナのものだった。

一か月前、ミナは芸能スカウトと会った夜から消えている。早雪はその男を改札で何度も見ていたが、名刺を持つ大人なら安全だと思い、止めなかった。掲示板に一文が出た。

「次はあなた」

イントロ代わりの発声が、ホーム番号と同じ高さで響く。Aメロでは列車接近音が逆向きに流れ、改札、防犯カメラ、コインロッカーの順に照明が点いた。

「次はあなた」

早雪は、ミナがよく使っていたロッカーを開けた。中には小型送信機と、スカウトに声をかけられた若者たちの写真がある。全員、別の駅で失踪届が出されていた。写真の裏には、彼らが最後に歌ったキーと、利用した路線が細かく記されている。

背後で靴音がした。例のスカウトがホームへ降りてくる。彼は「故障を止めに来た」と笑い、早雪へ送信機を渡せと言った。

サビが始まる。発声練習の母音が人名へ変わった。失踪者の名が一人ずつ駅中へ響く。掲示板には日時、車両番号、スカウトの会社名。最後に、今ホームにいる男の顔が表示された。

男が早雪へ掴みかかる。彼女は非常通報を押すが、反応しない。代わりに改札が閉まり、シャッターが下りた。ミナは駅の保守員だった父から設備を学び、曲の音階を遠隔制御信号として組み込んでいた。

ホーム端の倉庫から物音がする。鍵が自動で開き、中には監禁されていた二人の若者がいた。ミナ自身はいない。だが床には、次の救出先を示す路線図が残されている。

警察の足音が近づく。男は逃げ場を失い、掲示板を見上げた。

最後の一音で、三度目の表示が出る。

「次はあなた」

次に歌う人を励ます言葉ではなかった。若者を順番に選んできた男へ、次に名前を呼ばれ、連れていかれるのはあなたの方だと告げる駅内放送だった。