犬が戻った日

御代田沙綾は、伯母・郷子と老犬のポルカを七年間支えた。郷子の足が弱ってからは、朝夕の散歩、通院、買い物に加え、犬の薬まで管理した。

郷子の甥・琢郎は、家へ来るたび土地の値段だけを尋ねた。

「伯母さんが死んだら更地にする。犬は保健所でいい」

沙綾がたしなめると、「相続人でもない居候は黙れ」と笑った。

郷子が亡くれた翌日、琢郎は沙綾の外出中に鍵を替え、ポルカを遠方の保護施設へ送った。門には売地の看板を立て、不動産会社から手付金を受け取る。

「介護のお礼に犬だけはやるよ。見つかればな」

沙綾は怒鳴らず、郷子の弁護士へ連絡した。

売買契約の日、琢郎は買主を連れて洋館へ入った。庭木も家具も自分の所有物のように説明し、来月には解体できると約束する。

そこへ、動物福祉法人の職員たちがポルカを連れて戻ってきた。犬は沙綾を見つけると、一直線に駆け寄った。

弁護士が登記事項証明書を差し出す。郷子は三年前、洋館と土地を設立した動物福祉法人へ寄付し、亡くなるまで無償で住む契約を結んでいた。沙綾は法人の理事兼施設管理者に指名され、建物は今後、老犬と高齢者が暮らす小規模ホームになる。土地も家も、郷子の遺産ではない。

琢郎は売買契約書を振った。

「俺は法定相続人だぞ!」

「相続できるのは、郷子さんが死亡時に所有していた財産だけです」

遺産として残った預金は、ポルカの終生飼養費と沙綾への介護謝礼として公正証書遺言で配分済みだった。琢郎には以前の事業資金援助があり、追加の遺贈はない。

買主の弁護士は、所有権がない土地を売ると説明して受け取った手付金について、倍額返還と損害賠償を求めた。琢郎はすでに手付金で借金を返していた。

「沙綾、お前が法人を解散すれば売れる。犬一匹のために親族を潰すのか」

沙綾はポルカの首輪に、新しい住所札を付けた。

「伯母が守りたかったのは犬一匹ではありません。弱った途端に捨てられる命全部です」

法人の職員が琢郎の付けた鍵を外し、ポルカが玄関の内側へ入る。弁護士は琢郎へ返還請求書を渡した。

「この家へ戻れないのは、捨てられた犬ではなく、売主を名乗ったあなたです」