画面端の左手
画面の端から、左手だけが伸びてきた。
製薬会社の内部告発者が資料室へ入ったまま行方不明になった。監視映像には、本人のコートを着た人物が廊下を進み、資料室前の死角へ入る姿がある。その直前、画面左端から黒い手袋の手が伸び、レンズを数秒覆った。警察は、協力者がカメラを隠したと見た。
映像の人物は腕時計を右手に着けていた。告発者は長年、左手に着ける癖があった。家族は、急いで左右を間違えたのだろうと言った。
一方、レンズを覆った左手は、小指の先だけ不自然に短かった。工場事故で指を失った社員がいるか調べたが、該当者はいないと会社は回答した。
資料室には争った跡も血痕もなく、告発文書だけが消えていた。非常口の記録は作動しておらず、人物は死角から戻っていない。
会社は、告発者が機密資料を持ち逃げしたと発表し、警察にも窃盗事件として届けていた。だが彼の机には私物も退職届も残っている。法務部長だけが、失踪ではなく計画的な逃亡だと言い切り、画面端の手を「外部の手引き役」と早々に名付けていた。
私は告発者の古い社員証写真を拡大した。ポケットへ入れた左手の小指が、第一関節から欠けている。事故は入社前で、会社の健康記録には載っていなかった。
では、レンズを覆った手こそ告発者のものだ。廊下を歩いていた人物は別人で、告発者のコートと鞄を使っていたことになる。
監視室は資料室の真上にあり、床下配線用の点検口からカメラの脇へ手を出せる。告発者はそこで映像を隠し、自分に化けた人物を死角へ通した。交換されたのは文書ではなく、人の役割だった。
資料室の奥で見つかった靴跡は、会社の法務部長のものと一致した。彼は告発者の予備のコートと鞄をロッカーから持ち出し、自分で身に着けていた。告発者が機密資料を盗んで姿を消した、という映像を作るためである。
だが告発者は計画を察し、点検口の内側で待っていた。法務部長が偽物の「告発者」を演じる横でレンズを塞ぎ、その数秒に保守用階段へ移った。階段の先は外部監査機関の入る別棟へ続いている。彼は文書の写しを持って、そこから出ていた。
画面の端から伸びた左手は、誘拐犯の協力者ではない。
消えたと思われていた本人の手だった。
画面中央を歩く「被害者」が偽物で、死角の外からレンズを塞いだ者こそ、本物の告発者だった。